メンバーとのコミュニケーションに頭を悩ます日々

前原さんを最も悩ませたのが、職場の人間関係だった。

「5人のメンバーを持ちました。全員女性です。なかなかうまくコミュニケーションが取れなかったり、2つのグループに分かれちゃったりと、しっくりいかないことも。それを取りまとめなくてはいけないのですが、マネージャーに就いたといっても自分自身、まだスタッフ気分が抜けないし、周りも『今まで同じスタッフだった人に指導や評価をされても』という気持ちがあったんだと思います」

経験不足がこたえた。だが、一緒に昇格したほかのオフィス・マネージャーたちも同じ悩みを抱えていた。お互いに相談し、評価面談をロールプレーで練習した。そうやって少しずつマネージャーらしさを身につけていった。

名刺入れは本社に異動するときに元仲間からもらったものを愛用。手帳には、自分の行動を赤で、メンバーやほかの人の行動は青で書き込む。

その後、広島支社は人が増え、100人近い規模になったとき、いったん2つの支社に分割され、2年後にまた一緒になって約120人、全国一の規模の支社になる。

オフィス・マネージャーを続けていた前原さんは、そこでかつてないほどの忙しさに見舞われる。

「仕事のボリュームは2倍になってもオフィス・マネージャーは私一人。しかもたった2年間の分割でも両支社のカラーが生まれていたので、ちょっとした仕事のルールが違っていました。それを融合させるのに骨を折りました」

これまでの人生で最もハードワークだった時期。「この支社を軌道に乗せなければという使命感からハードワークになっていましたが、もっと周囲を巻き込んでやればよかったと今は思います。そこが、プレーヤーであることが好きな私の課題ですね」

その後、異動した熊本支社でおもしろいことを感じた。

「広島支社とは人が違うし、文化も違います。でも、お客さまのためにいい保障を提供しようという思いにブレはありませんでした。だから安心して働けたんです」

オフィス・マネージャーの仕事に慣れてきた前原さんのキャリアのサイコロが再び振られたのは09年。東京への転勤だ。そして13年にはスタッフコンサルタントチームのリーダーとして全国のオフィス・マネージャーなどの採用・育成を担うようになる。