執行役員として人の育成という重責を担う前原さん。執行役員の打診を受けたときは、迷いながらも「YES」の道しかないと腹をくくった。その潔さは、小中高とバレーボールで育んだ体育会系らしい前向きな気持ちに由来するのかもしれない。

採用担当者の言葉で転職を決意

2015年4月にプルデンシャル生命保険の執行役員に就任した前原弥生さんのキャリアは、まるでスゴロクのようだ。しかも、キャリアの分かれ道できちんといい目をそろえてくる。

プルデンシャル生命保険 執行役員 前原弥生さん

振り出しは地元、広島の短大の推薦で入社した全国信用不動産。会社が大手損保会社の代理店をしていたことが4年後の転職を引き寄せる。だが、それも最初の会社と同様、自分でサイコロを振ったわけではなかった。

仕事上で付き合いのあった大手損保会社の担当者が、あるときプルデンシャル生命保険に転職した。その後、同社の事務職の募集広告が出た。前原さんは転職を考えていなかったが、その担当者と同じ職場で働いていたアルバイトの人から「一緒に受けよう」と強く誘われ、受けるだけ受けてみようと思ったことが大きな転機となる。

最初、前原さんは転職を躊躇(ちゅうちょ)した。今の仕事が嫌なわけでもなければ、職場の人間関係にも不満はない。しかも当時、「プルデンシャル」の知名度はまだ低かった。

「元の職場からの引き留めもありましたから、迷惑をかけてまで転職していいのか、かなり迷いました。そんなとき、プルデンシャル生命保険の採用担当者から『結局、あなた自身はどうしたいの?』と強く言われて、ハッとし、引かれる後ろ髪をばっさりと切り落としたんです(笑)」

新天地での仕事は、広島支社の一般事務。総勢50~60人のオフィスで、営業が取ってきた契約の書類の処理などを行っていた。4年後、またサイコロが振られる。オフィス・マネージャーへの昇格だ。

「たまたま先輩が立て続けに辞め、私が一番古かったので……」

突然のマネージャー就任に本人も周りも戸惑った。

「スタッフとしてはきちんと仕事ができていたのだと思いますが、マネージャーの仕事とは何なのかがまったくわからないまま就いてしまったので、苦労しました」

それもそのはず。オフィス・マネージャーはこのとき初めてできたポジション。今まで支社で事務をする人は一般職だけだったのが、大きな支社では事務管理をする人間が必要だろうと全国で11人のオフィス・マネージャーが誕生した。その一人が前原さん。

メンバーとのコミュニケーションに頭を悩ます日々

前原さんを最も悩ませたのが、職場の人間関係だった。

「5人のメンバーを持ちました。全員女性です。なかなかうまくコミュニケーションが取れなかったり、2つのグループに分かれちゃったりと、しっくりいかないことも。それを取りまとめなくてはいけないのですが、マネージャーに就いたといっても自分自身、まだスタッフ気分が抜けないし、周りも『今まで同じスタッフだった人に指導や評価をされても』という気持ちがあったんだと思います」

経験不足がこたえた。だが、一緒に昇格したほかのオフィス・マネージャーたちも同じ悩みを抱えていた。お互いに相談し、評価面談をロールプレーで練習した。そうやって少しずつマネージャーらしさを身につけていった。

名刺入れは本社に異動するときに元仲間からもらったものを愛用。手帳には、自分の行動を赤で、メンバーやほかの人の行動は青で書き込む。

その後、広島支社は人が増え、100人近い規模になったとき、いったん2つの支社に分割され、2年後にまた一緒になって約120人、全国一の規模の支社になる。

オフィス・マネージャーを続けていた前原さんは、そこでかつてないほどの忙しさに見舞われる。

「仕事のボリュームは2倍になってもオフィス・マネージャーは私一人。しかもたった2年間の分割でも両支社のカラーが生まれていたので、ちょっとした仕事のルールが違っていました。それを融合させるのに骨を折りました」

これまでの人生で最もハードワークだった時期。「この支社を軌道に乗せなければという使命感からハードワークになっていましたが、もっと周囲を巻き込んでやればよかったと今は思います。そこが、プレーヤーであることが好きな私の課題ですね」

その後、異動した熊本支社でおもしろいことを感じた。

「広島支社とは人が違うし、文化も違います。でも、お客さまのためにいい保障を提供しようという思いにブレはありませんでした。だから安心して働けたんです」

オフィス・マネージャーの仕事に慣れてきた前原さんのキャリアのサイコロが再び振られたのは09年。東京への転勤だ。そして13年にはスタッフコンサルタントチームのリーダーとして全国のオフィス・マネージャーなどの採用・育成を担うようになる。

役員の内示にはその場で「YES」

15年2月、一谷昇一郎社長に呼ばれた。「最近はどうですか」といった世間話をした後、「4月から執行役員に就いてもらいます」といきなり切り出された。チームリーダーとして3年目、ようやく新しい仕事に慣れてきたところへ、思いがけない内示だった。

驚いて、「何か、お間違えではないですか」ととっさに口を突いて出た前原さん。でもその場で決意した。ただし内示があってから4月までは気持ちが揺れ動いた。女性の役員はすでに4人出ているが、支社の現場が長かった人は初めてだ。役の重さと支社のメンバーの期待との間で心が行き来する。

【写真上】オフィス・マネージャー第1号のうちの一人に。社長から辞令を受け取る【写真中】オフィス・マネージャー1期生と九州旅行【写真下】本社に異動し、複数のオフィス・マネージャーを統括

「今まで一回も上を目指して仕事をしたことはありません。与えられた場所でベストを尽くすことだけを考えてきました。執行役員もその結果であれば、自信はなくても一歩踏み出すことで道が開けるのではないかと踏ん切りました」

小中高とバレーボール部に所属した体育会系ゆえだろうか。スパイクされたボールに、一歩踏み込んでレシーブする学生時代の姿が浮かぶのだ。

■前原さんの経歴

1987年(20歳)全国信用不動産入社
1991年(24歳)プルデンシャル生命保険入社(転職)
1995年(28歳)広島支社オフィス・マネージャー
1997年(30歳)広島中央支社オフィス・マネージャー
2002年(35歳)広島支社オフィス・マネージャー(120人の大所帯で、業務量も増える)
2005年(38歳)熊本支社オフィス・マネージャー(はじめて、広島を出る)
2009年(42歳)首都圏第二支社オフィス・マネージャー
2012年(45歳)本社に異動
2013年(46歳)支社スタッフコンサルタントチーム チームリーダー(オフィス・マネージャー出身で初の執行役員となる)
2015年(48歳)執行役員(支社に勤務する人材の採用・育成を担当)

■Q&A

 ■好きなことば 
与えられた場所でベストを尽くす

 ■趣味 
旅、温泉

 ■ストレス発散 
散歩、ジョギング

 ■愛読書 
ビジネス書全般。最近は『エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは「信じること」』に感銘を受ける

前原弥生
プルデンシャル生命保険 執行役員。1967年広島県出身。87年比治山女子短期大学を卒業後、全国信用不動産入社。91年プルデンシャル生命保険に転じ、広島、熊本、東京の各支社でオフィス・マネージャーを歴任。2012年より本社にて勤務。15年執行役員に就任。