「何に向かって踊るのか?」坂東玉三郎の教え

ストリートダンスというより、コンテンポラリーダンスのような指先に至るまで繊細な動きが特徴的。長谷川が動くと、公園が突如、不思議な時空に迷い混んだかのような感覚に陥った。

2009年、長谷川達也はあるダンスイベントで新体操とダンスを融合させた画期的なグループと出会う。後に「BLUE TOKYO」となる、私立青森山田高校の男子新体操チームだ。

「彼らの目指す新体操とはウマが合うんじゃないか、と思ったんです」。彼の勘は正しかった。翌年、BLUE TOKYOが結成された時、長谷川は振り付けを担当することになる。そのつながりは、その後さらなる出会いを広げた。

「2014年の国際芸術祭『アースセレブレーション』に出演した、BLUE TOKYOへの振り付けがきっかけで、我々DAZZLEもそこで踊れることになりました。そこで、太鼓芸能集団『鼓童』との共演が実現したんです」

鼓童との共演をきっかけに、長谷川はここでも、新たな運命の糸をたぐり寄せる。アースセレブレーションにプロデューサーとして関わり、鼓童の芸術監督でもあった、坂東玉三郎の目に止まったのだ。

「玉三郎さんには最初に『花ト囮(おとり)』のDVDをお渡ししました。そうしたら『面白いから、他にも見せてください』と言ってくださって。作品を全部ご覧になった後で『皆さん、クラシックに興味はある?』と」

歌舞伎の大御所、玉三郎がストリートダンスのDAZZLE をプロデュースする。このニュースは世間を驚かせた。

坂東玉三郎プロデュースの『バラーレ』より。「DAZZLEの斬新なパフォーマンスとの出会いから、新しい表現の可能性を感じた」と、玉三郎はあえてクラシックを選曲。DAZZLEの踊りに変化をもたらした。(TBS主催「バラーレ」2015 写真:岡本隆史)

「玉三郎さんから学んだことは計り知れません。『己に向けて踊るのか。他人に向けて踊るのか。もっと大きなものに向けて踊るのか。それを踊りながら切り替えていくんです』。そう言われて、踊ることの意識が変わりました。『皆さんはもっと外に向けて踊っていかないと』とも言ってくださって、いかに僕たちが内向的に踊っていたか、ということに気が付いたんです。目線、胸の開きなど、自ら示してもくださいました」

2014年、DAZZLEは玉三郎プロデュースによる『バラーレ』を世に出した。クラシック音楽に合わせた、ストリートダンスの群舞。それは彼らが初めて描いた世界で、どこかデカダンスのにおいのする洋風なダンディズムと、気品に満ちた舞台だった。

「まさか、玉三郎さんに演出をして頂けるとは思ってもいませんでした。いろんな人たちに、あれから踊りが変わった、と言われますね」

2015年、『バラーレ』の舞台が終わり、長谷川は初めてクラシックバレエのレッスンに通うようになった。彼自身、そしてDAZZLEが世界に向けて更に飛躍を始めたのだ。

森 綾(もり・あや)
大阪府大阪市生まれ。スポーツニッポン新聞大阪本社の新聞記者を経てFM802開局時の編成・広報・宣伝のプロデュースを手がける。92年に上京して独立、女性誌を中心にルポ、エッセイ、コラムなどを多数連載。俳優、タレント、作家、アスリート、経営者など様々な分野で活躍する著名人、のべ2000人以上のインタビュー経験をもつ。著書には女性の生き方に関するものが多い。近著は『一流の女(ひと)が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など。http://moriaya.jimdo.com/

ヒダキトモコ
写真家、日本舞台写真家協会会員。幼少期を米国ボストンで過ごす。会社員を経て写真家に転身。現在各種雑誌で表紙・グラビアを撮影中。各種舞台・音楽祭のオフィシャルカメラマン、CD/DVDジャケット写真、アーティスト写真等を担当。また企業広告、ビジネスパーソンの撮影も多数。好きなたべものはお寿司。http://hidaki.weebly.com/

撮影=ヒダキトモコ 撮影協力(店内)=AUX BACCHANALES KIOICHO