「我慢のとき」を経てチャンスをつかむ
その背景には東京ガスが進めていた組織力強化の取り組みがあった。
「設計」とは新たなガス管の敷設や老朽化への対応を行う仕事だ。現場の工事関係者や電信電話会社、水道局との打ち合わせも多く、限られた人数しかいない設計者の負担は大きい。彼らをより高度な技術を要する仕事に集中させるため、事務職にも一般的な設計業務を任せようというわけだ。
そんな中で、白羽の矢が立ったのが小島さんだった。
「新しい仕事は不安でしたが、声をかけてもらったときは本当にうれしかったんです」と彼女は振り返る。
「というのも、あの頃の私は5歳と2歳の息子の子育てに追われ、仕事に対して欲を出せない状況。特に下の子が喘息(ぜんそく)で、いつ保育園から呼び出されるかわからない。職場に迷惑がかかると思うと、『この仕事をやりたい』なんて、自分からは言えませんでした」
子育てをしながら働き続ける者としては、「いまは我慢の時期」と割り切るしかなかった。その代わり、与えられた仕事には全力で向かう、絶対に手を抜かない――と自らに課してきた。
そんな彼女の仕事ぶりを、上司はしっかり評価していたのだろう。
「事務の上流側の業務に携わることで、仕事の幅も広がる。それは当時の自分にはとても大きなことでした」
だが、一方でそれは、彼女のキャリアのなかで最も厳しい時間となった。2歳になる次男の喘息が悪化し、入院することになったからだ。