メーカーや流通からすればシンプルに1~2月に投入する消費刺激の一つなわけで、80年代以降、世界に冠たる商品選択眼を持つプロ消費者として育成される日本の女子たちは、そのあたり、イベント消費であることは十分わきまえた上でお財布を開いているのである。

コラムニスト・河崎環さん

だがしかし、そこは女子である。単純なイベント消費に、こっそりとドラマ性を載せてどれだけ自分がヒロインになれるか? そんな企みをも挟んでくるのが、特に「若い女子」という狡猾な高コミュニケーション生物だ。「もう~、義理に決まってるじゃん!(ほっぺプクー)」と言いながら半分くらいは(あるいはもっと)「友達以上になってもいい」なんて下心があったり、本命チョコが複数用意されている(本命と目してるターゲットは複数いて、さらに滑り止めもある。受験と同じだ)くらいは序の口である。そういう女の二枚舌、三枚舌が、純粋な男子たちを幼い頃から振り回すのだ。ああ、女って怖い。

男子側からすれば、お母さんやお姉ちゃん、妹あたりからペコちゃん印の大手菓子メーカー製ハートチョコをもらうような平和な幼少期を過ぎ、ちょっと女子を意識する小学3年生あたりで「お前、クラスの女子からチョコもらったの?」と騒ぐようになり、中2、中3頃になると、もはや場合によってはチョコ1つで男子間に血が流れかねない程の思い詰め度を見せるのだ、とあるオトナ男子が語っていた。日本のバレンタインデーとは、チョコをあげる側にだけ、突如ドラマを仕掛け襲いかかる絶対的な主導権が渡されているという、残酷なほど非対称なイベントなのだ。生殺与奪の権が女子にのみ与えられているという恐ろしさ。思春期の男子たちの当日朝の緊張感を想像すると胸が痛む。

そんなわけなので、2016年の今、こんなにバレンタインデーというものが流通業界主導のチョコ祭りとなっているのに、学校時代のトラウマのせいで社内義理チョコの授受にさえ意図を深読みしたり深読みされたり、それを考えると一気に憂鬱になる旧男子も旧女子も、決して少なくないのだという。いやホント、日本国民全員、だいたいのこじらせというのは義務教育時代のトラウマのせいだ。そこで、「社内義理チョコが面倒くさい」という大人の声が出てくるのである。