20代や30代で出産に迷う女性の本音は「仕事がどんどん面白くなり、背負う責任も大きくなってきたときに、出産でその道を外れることへの抵抗感や遠慮」にあるだろう。「子どもは相手の男性あってのものなのに、どうして女性側だけが?」という思いも当然出てくる。しかしそこには、抗えぬ生物学的な限界としての出産好適年齢があり、実際に高齢になってからの不妊や出産リスクが大きな問題になっているのを見て、迫り来る生物学的時計のプレッシャーに、また迷うのだ。

今手にしているものを手放すかもしれないという恐れ、今の生活が大きく変化するかもしれないという恐れ。妊娠・出産が他人事ではなく「自分事」となったとき、「そんな変化を恐れるな! だってどうせ出産の大正義の前にはあなたの葛藤なんて大したことないんだから、むしろ出産子育てが女性のあるべき姿であり、仕事なのよ」と上から目線で言われて、反発がわき起こらないわけはない。

でも私は、出産に迷うことができるとか、後悔することができる人というのは、ある意味で「出産の可能性」や「出産の意志」を多少なりとも持つ人、持っていた人なのだと思う。岡本夏生さんの言う「健康な子宮と産道を持っていたのに」というのがまさにそれで、出産というただ一点に関して向き不向きで言うなら、向いている。ただ、迷う自分の背中を押されるかそうでないか、それだけなのだと感じる。