住民の反対、園長の困惑
1970年、山田さんは町田市の公団住宅に転居し一時専業主婦となった。その後、団地内にできた保育園に看護師として再び働きはじめ、さらに資格をとって保育士になった。そんな折り、同市内の鶴川に新たにできる、病院を運営母体とする保育園から主任としてスカウトされる。その後、75年には園長に任命され、それからいままでずっと保育一途の人生だった。異年齢保育や病児保育など、新しい考え方やり方をどんどん学び実践してきた。
90年代になると運営母体である病院の経営が芳しくなくなって病院の廃止が決まり、それに伴い、病院に併設されていた保育園の存続も危ぶまれた。保育園存続を求める声は多く町田市の行政や議会も動き、93年9月、町田市は保育園移転の代替地を確定することになる。なじみ深い鶴川、園長(当時)として山田さん(以下、山田園長)は安心したが、本当の困難はそこからだった。
市の担当者とともに移転先の近隣の家々に挨拶して回った。その時は異論も出ずに歓迎ムードだったのが、翌日「みんな反対している」との連絡が入る。山田園長は大いに戸惑い、また悲しくなった。鶴川の地で長年保育園をやってきたのに、「迷惑な施設」と扱われたことに衝撃を受けたのだ。
その後1年間は町田市と地元住民との間で話し合いが何度も行われ、94年10月、やっと設置のメドがついて96年春に開設することになったと聞かされた。工事が済むまでの仮の園舎で過ごす中、95年9月に初めて検討委員会に園長として出席を求められた。そこで改めて住民たちから静かな生活環境が侵害される不安を並べたてられ山田園長はまた戸惑う。