最後は勝ちたい気持ちが強いほうが勝つ

ハングリー精神。勝負の世界で最後にものをいうのはこれです。実力が拮抗していたら、勝ちたいという気持ちに飢えているほうが絶対に勝ちます。

私は、いまでも5歳で初めて試合に出たときのことが忘れられません。男の子と戦って負けてしまった私は、無性に悔しくなって泣きじゃくりました。そして、私に勝った男の子が表彰式で、金メダルを首にかけてもらっているのを見て、「私もあれがほしいよぉ」と父に訴えたのです。

すると、父はそんな私にこう言いました。

「いいか、沙保里。あの金メダルはな、スーパーやコンビニには売ってないんだよ。がんばって練習して強くなって、試合に勝った子しかもらえないものなんだ。だから、勝てるよう一生懸命練習しよう」

そこからです、私の負けず嫌いが始まったのは。

昔は、同じ勝つにしても絶対にフォールしたいとか、テクニカルフォールじゃなきゃ嫌だとかいう色気のようなものもありましたが、いまは、1点差でも勝ちは勝ちだと思って試合に臨んでいます。まあ、余裕がなくなってきたといえなくもありませんが、勝ちたいという気持ちが年々強くなっているのはたしかです。

よく、試合後に負けはしたけれど強敵相手に善戦できて満足みたいなコメントをする人がいますが、冗談じゃありません。勝負は勝たなければダメ。

また、いかに勝つためとはいえ、相手がケガをしているところを狙うのはスポーツマンシップに反するという意見にも反対です。

1984年のロスオリンピックの柔道男子無差別級決勝で、日本の山下泰裕選手と対戦して敗れたエジプトのモハメド・ラシュワン選手は、あえて負傷していた山下選手の右足を攻めなかったことがメディアで取り上げられ、立派な銀メダルと話題になりました。でも、それだって本当は、もともと相手の左足を攻めるのが得意だっただけなのかもしれません。

それに、もしあえてケガをしているほうを攻めたとしても、卑怯でもなんでもないと私は思います。ケガをしたのは自分の責任だし、棄権せずに出てきたのは、戦えるってことでしょ。それに、「ケガしたところを狙うのは立派な戦略である」と、当の山下さんもいっています。

私、勝負に対しては厳しいですよ。ずっとそうやって生きてきましたから。

とにかくレスリングは勝ってナンボ。私はあくまで勝ちにこだわっていきます。リオでは、トレードマークの高速タックルを捨ててでも勝ちにいくので見ていてください。

※このインタビューは『迷わない力』(吉田沙保里著)の内容に加筆修正を加えたものです。

取材構成=山口雅之 写真=公文健太郎