英字新聞ならではの影響力

表を拡大
大門さんのキャリア年表

自分の仕事を振り返ってみると、ジャパンタイムズ入社後は社会ネタを少しやってから政治担当、経済担当、産業担当と動き、小渕内閣のときに政治担当に戻ってきました。思い出深いのはPKO法案、自由民主党初の下野、日米航空交渉などの取材です。

1992年のPKO法案のときは、それを通すまいと社会党が投票箱まで出来る限り時間をかけて歩く牛歩戦術をとったので、1週間の徹夜国会となりました。夜中1時ごろから投票が始まり、2時ごろ社会党の番が回ってくると、「あと4~5時間は決着しないだろう」と踏んで急いで家に帰り、シャワーを浴びて朝7時ごろ国会へ戻ってくるという毎日でした。

1993年に自民党が政権から落ちるときは、他社の先輩記者たちは「そんなことがあるわけがない」と話していましたが、私は取材している中で「ひょっとしたら」という予感がしていました。固定観念にとらわれてはいけないと教えられた出来事でした。

日米航空交渉の取材は自分でも頑張ったと振り返ることができる仕事です。路線の開設で日米が真っ向からぶつかっていました。英字新聞の特徴だと思いますが、日本語の新聞と違って記事内容がアメリカ人にダイレクトに伝わります。日米両政府から呼ばれ、「相手の本音は何か」と聞かれ、双方の本音と重要な情報に触れるチャンスがありました。そんな中でアメリカの運輸長官が日本の運輸大臣にあてた書簡をスクープできたのです。