秀吉は茶々を側室にしたくなかった?
秀長(仲野太賀)「わしは(側室にするのは)茶々殿しかないと思うておる」
秀吉(池松壮亮)「茶々じゃと⁉ (中略)頭を冷やせ。いくつ離れておると思うておる。いや、そんなことはどうでもよい。寧々が……、どれほど傷つくか」
「豊臣兄弟!」第36話「茶々の本心」より
大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)では、豊臣秀吉(池松壮亮)が純粋無垢の好人物に描かれており、本人は望んでいないのに、弟の秀長(仲野太賀)が茶々(淀殿/井上和)を側室に勧めたことになっている。
いやいや、そんなことはないでしょう。秀吉の女好きは有名で、夫の浮気に悩む寧々に対して、織田信長が嫉妬しないようにと私信をしたためているという有名な逸話がある(信長自筆の文書は2、3通しか残っておらず、そのうちの一つがこの文書だということだ)。
しかし、「豊臣兄弟!」ではたくさんいた側室の女性を出さず、茶々ひとりを代表として描くらしい。
実際には秀吉の側室は何人いたのか。ルイス・フロイスはその著書『日本史』で秀吉の側室が300人と報告しているが、さすがにそんなにはいないだろう。江戸幕府の大奥には女中が数百人いたというから、女中を含めた人数ではないか。
秀吉の側室は同時期に16人以上
現実的な数字としては16人という説がある。
「『伊達世臣家譜』には、秀吉の側室は16人とあり、(中略)身分の高い武家女性ばかり。しかも織田氏関係の女性が三人も。これはまた、何とも分かり易い。秀吉は信長の一族を憧憬を以て仰ぎ見ていたんだろうなあ。かつての自分には、とても手が届かなかった、縁のなかった『お姫さま』。彼女たちを側に侍らせて悦に入っていたのでしょう」(本郷和人『戦国武将の明暗』)。
側室が16人というのはかなりの数だろう。徳川家康にも少なくとも16人の側室が認められるが、家康が側室を迎えたのは永禄8(1565)年頃で、それから死去するまで51年間、通算の人数が16であるのに対して、秀吉の側室はほぼ同時期に16人いたと思われる。
名前、父親がわかっているのは以下の10人である(図表1)。