秀吉の妹・朝日姫は、兄の命令で夫と離縁させられ、44歳で家康の正室になったと言われている。歴史研究者の濱田浩一郎さんは「江戸前期成立の『武家事紀』によれば、離縁は家康との結婚より4年も前。しかも縁組を望んだのは家康の側だった」という――。

48歳で死去した秀吉の実の妹

大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)において豊臣秀吉(池松壮亮)の妹・あさひ(朝日姫)は倉沢杏菜さんが演じています。一方、朝日姫の夫・副田甚兵衛役は前原瑞樹さん。あさひが徳川家康との結婚で注目されるのは、秀吉が関白に任官し、名実ともに天下人となってからになります。

豊臣秀吉の妹、徳川家康の継室、朝日(旭)姫の肖像画(南明院所蔵)、江戸時代
豊臣秀吉の妹、徳川家康の継室、朝日(旭)姫の肖像画(南明院所蔵)、江戸時代(写真=京都・南明院所蔵「旭姫像」/PD-Japan/Wikimedia Commons)

それでは朝日姫とはどのような女性だったのでしょうか。「徳川幕府家譜」や「幕府祚胤伝」という徳川幕府が編纂した史料によると、朝日姫は天正18年(1590)1月14日に48歳で京都の聚楽第じゅらくてい(1587年に完成した豊臣秀吉が京都に建てた城郭風邸宅)で亡くなったとあります。

つまり、朝日姫が生まれた年は天文12年(1543)ということになります。兄・秀吉が天文6年(1537)の生まれですから、秀吉より6歳下の妹ということになるでしょう。秀吉の弟・秀長は天文9年(1540)の生まれになりますので、朝日姫は秀長より3歳年下ということになります。

秀吉と父親がちがうワケではない?

では朝日姫の父は誰なのか。『太閤素生記』(延宝4年=1676年以前の成立。江戸幕府の旗本・土屋知貞によって纏められた聞書)には、秀吉とその姉・瑞龍院(とも)は木下弥右衛門と大政所(なか)の子であると記されています。しかし弥右衛門が死去したため、大政所は竹阿弥(織田信長の父・信秀の同朋衆)と再嫁。竹阿弥との間に秀長と朝日姫をもうけたと記述されているのです。これまで見てきた『太閤素生記』の記述を基にすれば、秀吉と朝日姫の父は異なることになります。

しかし、その一方で『太閤素生記』には弥右衛門は天文12年(1543)、つまり朝日姫が生まれた年に死んだともあるのです。この記述を基にするならば、朝日姫は弥右衛門の子であり豊臣兄弟(秀吉・秀長)と同じ父のもとに生まれたと推定できるでしょう。

ちなみに京都瑞龍寺(秀吉の姉・瑞龍院の菩提寺)書き出しの「木下家系図」によると、秀吉の父(妙雲院殿栄本)の死んだ年は天文12年(1543)1月2日とあります(渡辺世祐『豊太閤の私的生活』創元社、1939年)。こうした史料の記述を基に考えれば、秀吉の父の死は天文12年であり、秀吉と朝日姫の父は同じとみて良いでしょう。また朝日姫の名については「朝日君」「朝日姫君」「旭」などと後世の史料に記述されていますが、その実名についてははっきりしたことは分かりません。