NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では家康(松下洸平)の重臣・石川数正(迫田孝也)が秀吉(池松壮亮)へと主君を替える。系図研究者の菊地浩之さんは「実際に数正は豊臣家へと出奔したが、秀吉に松本城のある信濃国8万石を与えられ、転職は成功だったのではないか」という――。
『長篠合戦図屏風』(成瀬家本)より石川伯耆守康昌(数正)
『長篠合戦図屏風』(成瀬家本)より石川伯耆守康昌(数正)〔写真=『普及版 戦国合戦絵屏風集成 第一巻 川中島合戦図 長篠合戦図』(1988)より/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons〕

大河でも少年時代からの家臣と描かれた

大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)で、いつも徳川家康(松下洸平)の側近く仕える男がいる。石川数正(迫田孝也)だ。しかし、数正は小牧・長久手の戦いの後、家康を裏切って秀吉の下に出奔してしまう。

通常「石川数正」と呼ばれているが、当時の名前は「石川康輝」だった。永禄年間に「石川内記頼正ないきよりまさ」と名乗り、天正に入って「石川伯耆守ほうきのかみ数正」、天正13(1585)年頃に家康から偏諱へんきを受け、石川伯耆守康輝やすてると改名。さらに秀吉から偏諱を受けて石川出雲守吉輝と改名した(本稿では紛らわしいので、数正に表記を統一する)。一部の系図などでは数正のことを「与七郎康昌」と記しているが、父を康正とする系図があることから、父の諱いみなと混同している可能性が高い。

数正の生年は不明。一説に天文2(1533)年で、家康より9歳年長。天文18(1549)年に家康が今川家の人質になった時、数正はその従者となった。

ただし、数正だけが従者になったわけではない。俗に「七人衆」(実は8人)と呼ばれた一人に過ぎない。酒井政家(一般には正親)が最年長で、石川数正がその次、以下、野々山元政、阿部正勝、阿部重吉、天野康景、平岩親吉、内藤正次がいた(平岩は大河ドラマ「どうする家康」で岡部大が演じた)。

平岩親吉は“家康の親友”になったが…

家康はその前に織田家の人質になっており、その時の従者は阿部正勝、平岩親吉だけだった。阿部が筆頭家老の親族。平岩親吉は家康と同い年で、家康の乳母の甥にあたる。当初の従者はもっと大人数だったが、織田家に移送される際に人数が制限され、筆頭家老の親族でお目付役の阿部と、家康の親友・平岩が選ばれたのだろう。

平岩は家康の嫡男・岡崎信康の家老を務め、家康の八男・仙千代を養子にもらい、甲斐一国(郡内地方を除く)を与えられるほど出世したが、阿部正勝は幕末の老中・阿部正弘の先祖ではあるが、自身は5000石どまりで、出世したとはいえない。うるさいお目付役と無二の親友との差だろう。

また、阿部重吉に至っては嗣子に570石が与えられたのみである。なので、人質時代の従者とはいえ、それだけで数正が家康の信任を得たとはいえない。

JR静岡駅前の竹千代像と今川義元像
撮影=木村直軌
JR静岡駅前の松平竹千代(家康)像と今川義元像