父の死で自分を出せるようになった

この頃から詩や短編小説を書くようにもなった。覚醒して自我に目覚めたのだろうか、高まる意識や深い内面の気づきを文章という形にせずにはいられない。地元の文学愛好者たちと交流するようになり、仲間内で回覧雑誌『海鳥うみどり』を創刊。中心メンバーとして作品を寄稿した。

もしも俊次が存命だったら、化粧することも、創作活動で出歩くことも許さなかっただろう。千代の覚醒を邪魔していた足枷は父・俊次だったのか? つまり、この変貌は「親離れ」という、子供の成長の過程では必ず起こる現象だろうか。千代の場合は、それがかなり激しい感はあるのだが。

勤め先の学校でも浮いた存在

濃いメイクと派手な衣装のまま学校にも通った。同僚教師や生徒たちは千代の変貌ぶりに驚いているようだが何も言ってこない。校長や教頭も見て見ぬふり。自分たちの常識では理解できない新人種に、どう対応すればよいのか分からず戸惑っているようだった。

宇野千代
写真=共同通信社
73歳のときの宇野千代。メイクは欠かさなかった。1971(昭和46)年3月19日撮影

学校では浮いた存在になっているが、教師の仕事のほうは真面目につづける。2年目の新年度から、男女別だった小学校低学年の学級が能力別に優等生組と劣等生組に再編され、千代は2年生の劣等生組を担任するようになった。担当した生徒たちの成績はあがり、教え上手との評価を得ている。

子供たちには厳しく怖い先生として怖がられていたという。できない子供には、容赦なく平手打ちの体罰をおこなう。度を越してやり過ぎることがあり、先輩教師からはしばしば注意された。しかし、千代には厳し過ぎたという自覚がない。父から受けた超スパルタ教育に比べれば、甘いとさえ思っている。

日本の木造校舎
写真=iStock.com/Wako Megumi
※写真はイメージです

インテリっぽい優男が好みだった

同じ2年生の優等生組のほうは、新しく赴任してきた男性教師が受け持った。自叙伝『生きて行く私』では「佐伯」、他の書物では「牧野」「篠田」などという名でも登場してくる人物。代用教員の千代とは違って師範学校卒の訓導(正規教員)である。

男にしては色白で、キザな金縁眼鏡をしたインテリっぽい優男やさおとこ。それが、千代のタイプのようである。ストライクゾーンのど真ん中。色黒のコンプレックスに悩んできた影響だろうか、色白の肌には憧れる。