「ヨロイ熊」は戦後も実在した
二つの記事に登場する「ドノガキ(殿垣)」とは、以下の「登和里沢の熊騒動」に出てくる「殿垣内弥三郎」で間違いないだろう。
〈昭和三年十二月十二日、登和里沢の大嶋菊次郎が造材用の作業具を作っていたところ、ヒグマが現れて大嶋を一撃し、山に引きずり込もうとした。大嶋の悲鳴を聞いた近所の下村宅の母親が、すぐに自宅にいた下村琴松(19)に報せると、彼は猟銃を手にしてヒグマの後を追ったまま戻らなかった。(中略)村の熊狩り名人と言われた殿垣内弥三郎の案内で明朝より熊狩りをすることにして解散となった。殿垣内は、二人も殺したヒグマは気が荒く危険だというので、その晩は妻と水杯を交わして熊狩りに臨んだという。(後略)〉(「第二話・登和里沢の熊騒動 2名死亡」『朝日町登和里羆騒動の記録』朝日郷土資料室)
この加害熊は首尾よく駆除されたが、以上の記事を綜合すると、奥士別の猟師、殿垣内弥三郎が「糸魚岳の主」と呼ばれた六本指の巨熊を射止めたが、この個体は松ヤニを身体に塗りたくり、鉛玉が潰れるほどの「ヨロイ」をまとっていて、アイヌが「あの熊だけは手を出すな」と忠告する「ウエンカムイ」であった。
同資料によれば、殿垣内弥三郎は昭和24年5月に岩尾内沢で死亡している。したがって、戦後になってもなお、松ヤニで武装した恐るべき「ヨロイ熊」が、奥士別山中に実在したのである。
猟師が語った「超巨大ヒグマの恐怖」
最後に超巨大ヒグマに出遭ったときの恐怖を、標津の熊撃ち猟師、西村武重は次のように語っている。
〈羆には非常に大胆なのがいる。
それは超巨大のやつで、雪中の足跡を見ただけでゾッとして、射つ気になれないような羆である。足跡の長さが四十五センチ、横巾二十七、八センチもの巨熊が、夏の川砂の上とか、雨あがりの泥土の上などを歩いていったのを見ただけで顔が蒼白になり、からだじゅうが震えだしてくる。もう、そこからは一歩も前進する勇気がなくなってしまう。
こういう超巨大の羆は、猟人が近づいていっても慌てないで、じっとこちらをにらんで動こうとはしない。三百メートルぐらいになっても坐ったままだ。座高が三メートルもあるくらいだから、立ち上がって両手を伸ばして怒れば、五、六メートルになろう。
(中略)私も、一、二度、このような超巨大の羆に遭遇したことがあった。だが、十二番の二連アイデアルでは無力のような気がした。こいつは大砲ででもないと、うかつにかかれないと思って遂に断念したものだ〉(『北海の狩猟者』西村武重)
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