アイヌが恐れた「悪い神様」の伝説
「山の王」ともいうべき巨大なヒグマの中には、全身に松ヤニを塗って完全武装した「ヨロイ熊」の伝説を持つ個体もいた。彼らの「ヨロイ」は、アイヌの毒矢はもちろん、村田銃の鉛玉程度なら跳ね返したといわれる。
〈ちか頃はいないようだが、五、六十年前には、アイヌたちが『ウエンカムイ』(悪い神様)と恐れたクマが、全身に松ヤニをヌり、それに砂をぬりつけ、さらに松ヤニをぬって固めた、まるで防弾チョッキを身につけたような『山の王』が稀にはおったという。こういうクマは、年をとっており、村田銃ていどの弾丸は軽くはね返し、クマ狩り名人クラスのアイヌでも逃げ出すという〉(『熊・クマ・羆』前掲)
この恐るべきウエンカムイの伝説は、日高アイヌの伝承でも見られる。
〈ある年の秋近いころ、浦河の方から一匹の大きな熊が海岸伝いに走って来た。この熊はあちこちで人をたくさん食べたので、多くの人々から熊狩りをしかけられ、追いまわされていたものであった。(中略)砂浜を息せききってかけてくるこの大熊を見つけたエカシは、これは大変だ、何かあったなァと思い、ちょうどそこにあった丸木舟のかげにかくれて近づくのを待っていた。だんだん近づいてくる熊をよく見ると、この熊は松やにを体中にぬり、ヨロイを着ているようであった。そのために矢を射ろうとしても、うまくささりそうもなかった〉(「東静内 佐々木太郎が父から伝え聞いたもの」『静内町史』)
アキレスのような最期を遂げる
結局この「ヨロイ熊」は、松やにを塗っていなかった脇の下を狙われ、ついに討ち取られるという、ギリシャ神話のアキレスのような展開となるのだが、このような「ヨロイ熊」は、昭和の頃までは実在したようである。
〈朝日(奥士別)で昔、ドノガキとかいう人が熊をうったが、大物で鉛弾がつぶれて落ちていたそうだ。その弾をみた人もいる。ただし、どの様なものか信じられないと言っていた(溝口氏談) 熊は松に体を擦りつけ、松ヤニをつけるものだとの事であるが、犬と同様やらかす。その様な事から本当かも知れない。(高橋保氏談)〉(『北海道・道北 味噌も糞もの本』ABIRA.UNKE)
ここに出てくる「大物」とは、おそらく以下の六本指の巨熊のことではないだろうか。
〈アイヌがあの熊だけは手を出すなと忠告するのを無視して糸魚岳の主と言われた六本指の片輪の巨熊を射って運び出す途中でナダレにやられたのが殿垣で(後略)〉(及川疆)『士別よもやま話』(士別市郷土史研究会)

