一言も口をきかなかった初夜

この嫁入りの夜は、若い頃の小説と晩年の自伝とで、異なる情景として描かれている。

大正14(1925)年、27歳のときに発表した小説「三千代の嫁入」(『中央公論』2月号)では、嫁入りは「暗い夜」で、花嫁はお下げ髪に瓦斯紡績の羽織姿。ひとりぼっちで連れられて行き、誰も見る者はいない。生母が嫁入りに持参した緋縮緬の下着や白綸子の重ねは、父の酒代に消えていたとも書かれている。

宇野千代。作家、読書インタビュー、1969(昭和44)年10月25日撮影、東京・南青山の自宅
写真提供=共同通信社
宇野千代。作家、読書インタビュー、1969(昭和44)年10月25日撮影、東京・南青山の自宅

一方、昭和58(1983)年刊の自伝『生きて行く私』では、夜は昼のように明るい月夜になり、仲人夫婦が付き添い、3人の影が路上に落ちる。

小説と自伝という違いもあり、夜の描写だけで記憶が変わったとは言い切れない。

ただ、刑部の評伝によれば、千代は後年、自身の初期作品を偽悪的だったとして退けて、全集にも収めなかった。そして、父の血を受け継いだ自分のことも次第に受け入れていったという。ひとつの結婚が、語る時期によって別の物語になっているのがどこまでも作家らしい。

鉄砲小路の家で、伯母は心から嬉しそうに、息子の部屋に二つ並べて敷いた寝床を指さした。今夜からここで一緒に寝ることになる。だが、千代には亮一の妻になったという実感がなかった。2人は、あの夕方の帰り道と同じように、眠りにつくまで一言も口をきかなかった。まだ子供だった千代は、それでも自分の置かれた場所をおかしいとは思わなかったという。

別の女性との外泊

翌日も、その翌日も、亮一は着物を着替えて出かけ、なかなか戻らなかった。行き先は寿座という芝居小屋のそばの飲み屋だと家の雇い人が教えてくれた。伯母は息子が出かけるたび、寝間着を炬燵で温めてあると千代に言う。まだ中学生の亮一が、毎晩のように行き先も告げず外出しても、この家では誰も咎めない。評伝によれば、亮一は千代を好まず、好みの女性のもとに外泊していた。千代は亮一の日記を盗み見て、自分が嫌われていることを知ったようだ。

食卓の様子も、実家とは違っていた。食事のたびに大きな食卓を家族が囲み、食べ物を取り合っては大声で笑う。一人ずつ箱膳を前に声もなく食べる実家に比べると、それは楽しそうというより異様な光景に見え、そのたびに千代は、「いま頃うちではどうしているだろう」と思いを巡らした。婚家で千代が考えていたのは、夫のことではなく、出てきたばかりの実家のことだった。

10日ほどたった、ある日の午後である。学校の帰り、千代は鉄砲小路へ戻るために渡るはずの錦帯橋を渡らなかった。五つの反り橋を上り下りするのが厄介だったと自伝では理由ともつかない理由を書いている。ついこの間まで通っていた道を、川岸に沿って実家へ歩き、台所へ回って、低い声で継母を呼んだ。彼女は「やれ、千代さんかいの」と応じただけだった。

錦帯橋
写真=iStock.com/roc8jas
※写真はイメージです