死の直前、包丁を持ちだし大暴れ
生涯4度の離婚を経験するなど、恋も仕事も自由に謳歌してきた宇野の原点には、そんな父由来の気質もあるのではないか。そして宇野は、年齢を重ねるにつれ、そんな父をどこか誇らしく感じるようになったようにも思える。それは、父の最期を綴った文章からも読み取れる。
父は亡くなる3日前、大雪の中、台所にあった出刃包丁を持ち出し、外に出ていくやいなや「寄るな、寄って怪我するな、寄るとどいつもぶった切るぞう」と包丁を振り回したという。雪の上には、父の裾から汚物が流れていたそうだ。近所の人が父を担いで家に連れ帰るときは、父はだらりと両手を下げ、宇野の目にはすでに「生きているものとは思えなかった」という。
これだけ読めば壮絶な最期の記録である。しかし、宇野は先述の著書の中で、父の思いを以下のように代弁する。
「私は父に代わって、あの瞬間の父を語ってやりたいのである。これは決して、自分の父に対する身びいきではなく、父そのもののあの瞬間の叫びだと言う気がした。父はあの瞬間に、あの刃物で自分の体を傷つけたかったのか。あのときの言葉通りに、寄って来る人をぶった切りたかったのか、いや、いや、そうではない。
あの死の直前の狂気の瞬間に、父はこう言いたかったのではなかったかと、いま、八十四歳になった私は、まるでこの耳で聞いたことのように、父の胸の中が、はっきりと分かるような気がするのであった。
『俺はいま死ぬ。この放蕩無頼の一生を、いま、この瞬間に、出来ることなら始めからやり直したい。人の世に定められた真っとうな生活を、もし出来ることなら、始めから踏み直したい』と絶叫しているのではなかったかと言うことが、はっきりと分かるような気がするのであった。」
決して自分は不幸な子供ではなかった
破天荒な父に、どこか通じるものを抱いていた宇野。はたから見れば、そんな父のいる家庭は決して恵まれた環境とは言えなかっただろう。しかし、興味深いのは、宇野自身が自らの幼少期を「不幸だった」とは捉えていないことだ。むしろ彼女は、その環境の中で見つけた小さな幸福を、晩年まで鮮明に覚えていた。
「子供の頃の私は、決して自分のことを、不幸な子供である、などとは思っていなかった。
そう言う家庭の中であっても、やはり子供らしい希望だとか、子供らしい喜びだとかがあって、そう言う家庭の子供なりに、やはり幸福を知っていたように思う。人の眼から見て、子供の頃の私が、どんなに悲惨なものであったとしても、それは私自身には関係がなかった。
却って、人の眼から見て不幸な境遇であっただけに、不幸に対しては鈍感であり、幸福に対しては感じ易い、――そう言う感じ方で、幸福を知っていたように思う。」(『生きて行く私』)