勝家は敗走、秀吉は北庄城まで追う

秀吉は敗走する勝家を追撃して北庄城(福井県福井市)に追い詰め、4月24日、落城に追い込んだ。翌日には加賀まで侵攻して平定し、北陸の戦後処理を早急に済ませて帰陣した。勝家の旧領のうち、越前一国と、加賀国の能美・江沼二郡を最大の功労者である丹羽長秀に与え、秀吉に寝返った前田利家にも加賀国のうち石川・河北二郡を与えた。越後の上杉景勝も圧伏し、5月5日には長浜城に凱旋、7日には安土城に入った。この間、秀長の動向は掴めないが、『高山公実録』『公室年譜略』などには、北庄城攻略後、秀長が丸岡城(坂井市)を攻略し、秀吉とともに凱旋し、5月7日に安土城に帰陣したとしている。

一方、岐阜城の織田信孝は、国衆からの支持も得られず、賤ヶ岳の戦いに際してもなす術なく、織田信雄に岐阜城を攻囲されて自害した。降伏して野間のまで自害したとも、家臣に裏切られて死去したとも伝わり、その最期ははっきりしない。

福井市・柴田神社のお市の方と三姉妹像
写真=市川蒼/photolibrary
福井市・柴田神社のお市の方と三姉妹像

秀吉は勝利し、天下人の道へ

秀吉は、賤ヶ岳の戦いでの勝利により、8月1日付で家臣に対し、近江・河内・丹波・播磨・山城・摂津において大量の知行宛行状を発給している。秀長も直臣に対して褒賞しているはずだが、確認できない。二次史料では、たとえば藤堂高虎は秀吉から千石、秀長からも三百石を拝領したというが、信頼できる史料からは確認できない。

秀吉は最も恐れていた勝家を倒したことで「日本の治まりは、頼朝以来これにはいかでか増すべく候や」と自信を深め、信長の後継者を自認し、大坂城の築城を開始する。

和田 裕弘(わだ・やすひろ)
戦国史研究家

1962年、奈良県生まれ。織豊期研究会会員。著書に『織田信長の家臣団―派閥と人間関係』『信長公記―戦国覇者の一級史料』『織田信忠―天下人の嫡男』『天正伊賀の乱』(いずれも中公新書)などがある。