“軽視”されているかのような悠仁親王
寬仁親王は2012年に66歳で亡くなってしまい、麻生氏は、その遺志を今回実現したともいえる。旧宮家が直接皇族に復帰するというわけではないが、養子という形で皇族になる道が開かれたからである。
ここで気になるのは、麻生氏にとっての秋篠宮家の悠仁親王の存在である。
たしかに麻生氏は、「悠仁親王殿下に至るまでの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」とくり返し発言している。また、旧宮家からの養子案実現に力を入れたのは、将来において、悠仁親王が天皇に即位した際に、周囲に一人も男性の皇族がいなくなる事態を避ける必要がある、とも発言している。
ただ、今回の改正では、養子に入った旧宮家の男子には皇位継承の資格は与えないものの、その子どもについては男子であれば、継承資格を与えることとなった。
あたかもそのことが、改正の本当の目的であるかのように理解されている。しかも、親族である信子妃や彬子女王が養親になり、麻生氏が、将来の天皇の伯父や祖父の立場になるのではと見込まれている。
そうであるならば、麻生氏のなかで悠仁親王の存在は、実は“軽視”されているようにも思えてくる。
養子案実現に固執した「隠された動機」
重要な点は、悠仁親王が皇族としてはかなり「特殊な存在」だということである。
悠仁親王は、戦後の皇族として初めて、幼稚園から大学まで一度も学習院で学ばない道を歩んでいる。
そこには母親の紀子妃の意思が強く働いていると考えられるが、紀子妃自身は学習院の出身で、秋篠宮も同じである。しかも、紀子妃の父親や曾祖父は学習院の教授だった。紀子妃は学習院のことを熟知しているだけに、息子の教育は学習院には任せられないという、強い思いがあったように感じられる。
ただそれは、悠仁親王に皇族としては異色の道を歩ませることにつながった。それによって、秋篠宮家には、悠仁親王を天皇に即位させたくないという考えがあるのではないかとさえ思わせることになったのだ。
このことは、麻生氏を困惑させてきたのではないだろうか。皇族とともに学習院で学生生活を送ってきた麻生氏からしてみれば、将来において天皇に即位する可能性が極めて高い悠仁親王が一度も学習院で学んでいないことは、考えられないこと、あってはならないことであるはずだ。
政治家が、いくら皇室に親族がいるとはいえ、宮家の教育方針に対して公に異議を申し立てることなどできない。だが、内心でそうした思いを抱いていても不思議ではない。
そこに、麻生氏が旧宮家からの養子案をなんとしても実現しようとした「隠された動機」があったのではないか。