息子が関ヶ原で東軍になったワケ

恒興の次男・池田三左衛門輝政は、江戸時代に姫路城を築いたことで知られる。なぜ輝政が姫路という要衝を任されたのかといえば、関ヶ原の合戦で家康方につき、勝利に貢献したからである。それ以上に大きかったのが、家康の女婿だったということだ。

輝政ははじめ中川清秀の娘を妻にしていた。長男・池田利隆が天正12年9月生まれなので、山崎の合戦の後に縁談が進んだのではないか。荒木村重の謀反を鎮圧した後、恒興は支城の掃討作戦を任された。中川は村重の家臣で、村重の謀反には加わらず、信長に付いた。また、山崎の合戦では、先陣を任されたという。

しかし、妻は出産後に病を得て実家・中川家に戻り、離婚を余儀なくされる。

ここで、気配りの人・秀吉は、輝政の父・恒興を討った徳川家康との仲を取り持つべく、家康の次女・督姫とくひめと輝政の再婚を斡旋した。そのおかげで、輝政はすっかり徳川家寄りの部将になってしまい、関ヶ原の合戦で大活躍をして豊臣家の没落に一枚加わったのだから世の中わからない。

【図表】池田恒興と豊臣秀吉・織田信長の関係
筆者作成
菊地 浩之(きくち・ひろゆき)
経営史学者・系図研究者

1963年北海道生まれ。國學院大學経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。06年、國學院大學博士(経済学)号を取得。著書に『財閥と閨閥 10大財閥の婚姻戦略』『財閥と学閥 三菱・三井・住友・安田、エリートの系図』『最新版 日本の15大財閥』『織田家臣団の系図』『豊臣家臣団の系図』『徳川家臣団の系図』(角川新書)、『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)、『日本の地方財閥30家』(平凡社新書)、『一目で流れがわかる業界変遷100年史』(KADOKAWA)など。