まったく議論されない肝心な問い
なぜ、麻生副総裁や保守派に見られるように、「血による継承」だけが議論になるのか。それは、一般国民からすれば理解が難しいことである。
見落としてならないのは、ここまでの議論において血による継承だけが問題にされ、ほかの側面についてはまったく問われていないことである。
森議長の発言のように、皇室に養子に入った人物の男性の子になぜ、皇位継承の資格を与えるのか。ここで根拠として持ち出されているのは、天皇家と血がつながっているということである。すでに述べたように、その血統にしても室町時代まで遡らなければならないのだが、ほかの根拠はまったく示されていない。
今国会での議論全体が、そうである。皇族としてふさわしい、あるいは皇族として国民の期待に応えられるのが「どういった人物なのか」については、まったく論議されていないのである。
もちろん、それを議論しはじめると、さまざまなことが言われるようになり、収拾がつかなくなるかもしれない。
だが、皇位を継承して天皇に即位すれば、憲法が規定するように、「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」となるわけで、どんな人物でもいいというわけにはいかない。
それに関連して、私が以前から疑問に思っていることがある。それは、悠仁親王のことである。
愛子さまと悠仁さまの決定的な違い
今の制度においては、次の次の天皇に即位するのは悠仁親王になる。次代は父親の秋篠宮である。秋篠宮は「皇嗣」という立場にあるが「皇太子」ではない。
悠仁親王になると、そのどちらでもない。皇位継承順位では第2位だが、何ら特別な地位に就いていない。皇室の一員に過ぎない。そのことは、ほとんど問題にされていないのだ。
それと関連するのが、悠仁親王に対する「帝王学」の問題である。悠仁親王が今上天皇の子であれば、陰に陽に帝王学を施され、国民もその過程に接していくことになる。ところが、悠仁親王は今上天皇の甥であり、何かの機会に天皇と同席する機会はほとんどない。
そこが、愛子内親王との決定的な違いである。
したがって、国民のあいだに、悠仁親王は本当に帝王学を授けられているのだろうかという疑問が湧いてくるのだが、麻生副総裁も、保守派の論客も、それについて問題にすることはまったくない。悠仁親王に帝王学が授けられるように状況を変えることは試みられていないし、提言すらされていないのだ。
血がつながっていさえすれば、その人物像や在り方を問う必要はないのだろうか。皇室に養子に入った旧宮家の人間の子どもなら、どんな人間でも、場合によっては天皇に即位し、日本の象徴になることができるのだろうか。
その点はまったく問われていないのである。それは謎ではないだろうか。