和の後輩看護婦とあっさり結婚

説得を受けた木下は深い失望のなかで和との結婚を断念。出獄後ほどなく、和が講師を務めていた東京看護婦会で働いていた和賀操と結婚する(『別冊太陽』)。木下が獄中時代に文通を重ねた相手の職場で、別の女性が新しい妻となった。皮肉と呼ぶには重すぎる事実だ。

木下はその後、明治32(1899)年に毎日新聞(旧横浜毎日新聞)に入社し、廃娼論、足尾銅山鉱毒問題、政官界の汚職などで論陣を張る。明治34(1901)年には安部磯雄、片山潜、幸徳秋水らとともに日本初の社会主義政党・社会民主党を結成。同郷・同窓の相馬愛蔵との交流は生涯続いた。

「風、薫る」は和の恋をどう描くか

一方の和は、看護の仕事に再び全身を投じていく。明治32年に『派出看護婦心得』、明治41(1908)年に『実地看護法』を相次いで刊行し、明治42(1909)年には大関看護婦会を設立。廃娼運動・禁酒運動・婦人参政権運動にも関わり続けた。そして、生涯、再婚することはなかった。

知命堂病院で眼科診療に立ち会う大関和(右)
提供=医療法人知命堂病院
知命堂病院で眼科診療に立ち会う大関和(右)

「風、薫る」のシマケンも新聞記者になり、廃娼運動についても記事を書いた。このあたりの設定は木下と重なる。廃娼運動を語りながら、遊郭通いの過去もあった青年。獄中で女性の差し入れを心待ちにしながら、出獄してすぐ別の女性と結婚した青年。木下尚江は、近代日本の知識人が抱えた矛盾そのものを生きた人物だった。

そんな男に求婚されながら結婚直前で身を引いた大関和の選択は、現代の感覚から見れば「もったいない」と映るかもしれない。だが当時の和にとって、それは「自立した職業人としての生」と「キリスト者として望む結婚」のあいだで揺れた末の、痛みを伴う決断だった。

「風、薫る」が描こうとしているのは、おそらく「成就する恋」ではない。看護という職業を自らの手で社会的地位ある仕事へと押し上げていった女性たちの、私的な犠牲も含めた選択の重さである。和という人物の最も人間味のある一面が、ドラマでどう描かれるのか、注視していきたい。

・参考資料
田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社、2023年)、亀山美知子『大風のように生きて 日本最初の看護婦大関和物語』(ドメス出版、1992年)、相馬愛蔵・相馬黒光『相馬愛蔵・黒光著作集1 穂高高原』、『別冊太陽 大関和 明治のナイチンゲールたち』(平凡社)、特別企画展『近代看護の先駆者「明治のナイチンゲール 大関和」』展示図録(大田原市那須与一伝承館)、毎日新聞出版『Newsがわかる特別編 大関和がわかる』、メディアソフト『大関和と鈴木雅の人生』、栃木県観光物産協会公式サイト「明治のナイチンゲール大関和のふるさと栃木を巡る旅路」、新宿中村屋公式サイト「創業者ゆかりの人々 木下尚江」「創業者ゆかりの人々 相馬愛蔵」、国立国会図書館「近代日本人の肖像 木下尚江」「近代日本人の肖像 相馬愛蔵」ほか

田幸 和歌子(たこう・わかこ)
ライター

1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など