アメリカ留学をドタキャン?
その英語力は引退後も衰えなかったといいます。雅のお孫さんの手記によれば、一緒に買い物に行くと英語が飛び出してきて、周りがびっくりしていたそうです。ご親族のお話をうかがっていると、雅は私が書いたイメージとピタリと重なる方でした。シャープでクールな感じなのですが、ちょっと面白いことを言うんです(笑)。
雅には留学の話もありました。師のマリア・ツルーに付き添って渡米しようとしたのですが、直前に断念しています。断念の理由は、ネタバレになるのであえて言いませんが、いずれにせよ当時、留学をドタキャンするというのは非常に大変なことで、よほどの理由があったわけです。
帝大病院を辞め、慈善活動を
帝大病院を辞めた後、1891年(明治24年)に東京の本郷に雅が作ったのが「慈善看護婦会」です。日本で最初の個人経営による派出看護婦会で、在宅の病人のところへ看護師を派遣するという、今でいう訪問看護の先駆けです。「慈善」という名前の通り、貧しい人には無償で看護をするという理念を持っていた。
それが後に「東京看護婦会」と改称されていくのですが、後発の派出看護婦会が次々とでき、競合が激しくなる中でたくさんの看護師を雇わなければならなくなり、完全な無償では経営が成り立たなくなっていったからです。ただ、貧しい人に対しては実態として無償で看護を続けていたんじゃないかと私は思っています。1896年には「東京看護婦会講習所」も作って、看護教育にも力を注いでいきます。
軍人の夫が遺した恩給で生活
雅はお金にはそれほど困っていませんでした。陸軍少佐だった夫の恩給があったので、経済的には安定していた。だからこそ「慈善」――無償奉仕――という理念を掲げた看護婦会を作れたところもあるでしょう。私は「お金も大事」「これは職業なんだから」という経済的自立の観点を、雅の言葉に乗せましたが、彼女は困っている人に対しては一貫して無償の姿勢をとっています。