惚れ込んだ俳優のために劇団を設立
翌年、夫がふらりと帰ってきた。駆け落ちで1年半留守にした放蕩息子の帰還だった。おかげで元気の出た玲子は突如、劇団「貴族館」を旗揚げした。
きっかけは、例によって岡山のバスで美青年をナンパしたことだった。相手は劇団「群狼」の水田優也という俳優。後日、新大阪ホテルで再会し、襲いかかろうとする玲子に「おめえさんには一億回会いたいから、寝ない」と断った。その一言にすっかり虜になった玲子は水田のために資金を出し、玲子好みの20歳前後の美男美女をそろえて劇団を作ったのだった。
あいさつ状には「孤高にありて孤高におらず、所詮放蕩無頼、スラム育ちの玲子、劇団『貴族館』を設立いたしました。ねらうは、どん底のユーモア、悲惨の中の哄笑であります(中略)どうぞ可愛がって下さるよう、魂の緋縮緬めくって、お願い申し上げます」と書いた。第1回公演は12月18、19日に大阪の郵便貯金ホールにて、玲子脚本の「わが故郷秋瀬駅」だった。
ポルノ小説のような怪作を発表
1973(昭和48)年1月に、雑誌などに寄稿した評論や短編を集めた『わが闘争宣言』が、10月には『美少年狩り』が出版された。後者の表題作「美少年狩り」は、売店の客だろうが劇団員だろうが、美青年と見れば関係し、ポルノ小説張りの濡れ場の描写が続く怪作で、フィクションとはいえ思わず夫に同情してしまうような出来栄えだった。また、この頃から1982(昭和57)年まで断続的に『現代の眼』に作家評論を寄稿し始めた。
1984(昭和59)年頃、夫と二人で立ち上げた冷蔵庫・冷凍庫の修理販売会社が倒産した。母が倒れて入院すると、玲子は消費者金融から借りた金を見舞金として持参し、病室に駆けつけた。母はその後も入退院を繰り返し、そのたびに金銭を求めた。
母の危篤で、7人兄弟が集まった
母が最後に担ぎ込まれたとき、久しぶりに家族が集まった。長男の肇は父の百姓の手伝い、長女の恵美は一流企業の重役夫人となっており、三女の敏子は勝手に実家を800万円で売り払い行方不明になっていたがやってきた。四女の美津子は皮膚癌を患いながら魚屋をやり、次男の征二郎は会社員、三男の博之も夫婦で暮らす長崎からそれぞれ駆けつけた。
玲子は母に恨みがあった。いつも美人の姉ばかりが大事にされ、ことあるごとに自分の醜さを思い知らされた。聞けば、敏子もそうだという。母の行商の仕入れ先へ買い出しに同行したときのこと。店では自分を母ではなくおばさんと呼ぶように言い含められた。敏子は母が自分の口蓋裂を恥じているのを察して、いったんは承諾したものの、店でわざと「お母さん」と大声で呼んだ。とっさに返事をしてしまった母は、みるみる顔を赤らめ、敏子は仇を取った。