妹が15歳で処女を捨て、女郎屋へ
16歳の頃、道端の易者に手相を見てもらったところ、将来の結婚相手は長男で優しい人だと言われた。結婚できると聞いてうれしくなった玲子は妹の敏子にその話をした。すると妹は易者は商売だからそう言っただけといい、「不細工なうえに、阿呆ができるの誰がもらってくれるの」と言った。
そして自分は一昨日、女郎屋の親父を相手に処女を捨ててきたと言う。「寝て約束してきたんや。あそこで働くというのを、別になんとも思わない」。話を聞いた父が怒り狂って追いかけたが敏子は怯まなかった。殴られながら川に飛び込み、叫んだ。「お世辞にも見合いの話、玲子たちにもって来たことあるか」「ざまあみやがれ、淫売になったるぞォ。売って売って売りまくってやるぞォ」。敏子は肉がいっぱいの卵丼を食べさせてくれると言われて友人に付き添われて女郎屋に行った。後悔はなかった。どうせ悪遺伝が知れ渡って結婚できないのだから、多くの男と関係した方が得だと思った。敏子、このとき15歳だった。
スケバン「流れ星のお玲」を名乗る
玲子は次第に荒れた。鞄の中にはメリケンサック、ポケットには自転車のチェーンを入れていた。「流れ星のお玲」を名乗り、通りすがりに牛乳屋から「なんぼ赤い服きてもおえる(貰い手もない)もんか」という陰口が聞こえると、チェーンを振り回して店に並んだ牛乳瓶を割った。「人を馬鹿にするな。花嫁御寮がなんだ」。チェーンを手に撒き直して振り返ると黒山の人だかりだった。「俗物。のきゃあがれ」と言うとさっと開いた道を歩いた。いつか小説家になってみんなを土下座させてやると思った。
流れ星のお玲の名は知れ渡り、不良少年たちに目をつけられたり、パンパン同士の揉め事に駆り出されたりすることもあった。でも根は純情な少女だった。タケというヤクザに淡い恋もした。でも彼にはドイツ駐在の某大使の娘という恋人がいた。この恋はプラトニックな美しい思い出となった。
1946(昭和21)年3月に女学校を卒業した玲子は金を稼がなくてはならなくなった。母は美人の姉には男に注意しろと言うくせに玲子には何も言わないので、試しに駅前に立ってみた。優しそうな紳士が同情して金だけくれた。