セツが記した「八雲の好きな物」
(セツの書いた)『思ひ出の記』の終盤に、八雲の人柄を端的に言い得た箇所があります。
〈ヘルンの好きな物をくりかえして、ならべて申しますと、西、夕焼、夏、海、游泳、芭蕉、杉、淋しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱などでございました。場所では、マルティニークと松江、美保の関、日の御碕、それから焼津、食物や嗜好品ではビステキとプラムプーデン、と煙草。嫌いな物は、うそつき、弱いものいじめ、フロックコートやワイシャツ、ニユ・ヨーク、そのほかいろいろありました。まず書斎で浴衣を着て、静かに蝉の声を聞いている事などは、楽しみの一つでございました〉
ここに掲げられた、いくつもの事柄から、容易に語りきれないセツの想いが聞こえてきます。僕は松江で教員生活をおくりながら、八雲の足跡を追うようになりました。夫婦が暮らした時代の風情が残っているだけに、これらの端的な記述を思い返しながら、セツと八雲が直面した数多の出来事の、人生の文脈が腑に落ちるようになりました。
八雲が世を去った翌年に(『思ひ出の記』を)書き始めたわけですから、セツは痛む心を抱えながら、一生懸命語りました。まだ36歳でした。子どもは4人。長男の一雄は10歳、末娘の寿々子は1歳になったばかりでした。悲しみから再起して、大黒柱を失った家庭を切り盛りせねばなりませんでした。
1961(昭和36)年、東京都生まれ。成城大学大学院で民俗学を専攻し、87年から曽祖父・小泉八雲ゆかりの松江市で暮らす。小泉八雲記念館館長、焼津小泉八雲記念館名誉館長、島根県立大学短期大学部名誉教授を務める。著書に『怪談四代記 八雲のいたずら』(講談社)、『小泉八雲と妖怪』(玉川大学出版部)など。撮影=朝日新聞出版写真映像部・佐藤創紀
