妻セツや子どもたちとの散歩
西大久保に転居してからも、ハーンの散歩好きはあいかわらず。50歳を過ぎても健脚は衰えず、あちこちの神社や寺を巡り歩く。成長した(編集部註:長男の)一雄や(次男の)巌を連れて出かけることも増えている。セツも時々、人力車の助けを借りて散歩に同行する。家族団欒のひと時を楽しんでいた。
この頃のハーンが好んでよく行ったのが、雑司ヶ谷の鬼子母神と野方村の新井薬師だった。屋敷のすぐ近く、村を東西に貫く真っ直ぐな道が伸びている。鬼子母神へ行く時はこの道を渡って北上し、陸軍演習場がある戸山ヶ原の丘陵地を横断する。軍隊が射撃訓練をする時には道沿いに赤旗を掲げて通行禁止となるが、それ以外の日は通り抜けが許される。まだのどかな時代だった。
赤旗の有無を確かめて歩きつづけると、やがて道は旧鎌倉街道に合流する。戸山ヶ原を過ぎ神田上水に架かる面影橋を渡れば、旧街道の風情がしだいに濃厚になってくる。江戸時代には竹林が生い茂って昼間も暗く、狐や狸が現れて通行人を騙していたという。また、この道沿いには落語「怪談乳房榎」ゆかりの寺として知られる南蔵院もあり、セツがそれを見過ごすわけがない。話を仕入れてハーンに語って聞かせたことだろう。
南蔵院を過ぎれば、すぐに鬼子母神の参道が見えてくる。この辺りも雑木林が多く、そこに生息する野鳥の囀りがよく聞かれたという。ハーンは鳥の声に耳を傾けながら、「よい声です。あなたはどう思いましたか?」などとセツに問いかけたりする。
青山墓地より雑司ヶ谷を望んだ
ハーンは雑司ヶ谷を「寂しい景勝地」と言って気に入り、自分が死んだらここに埋葬してほしいと言うようになる。雑司ヶ谷には明治7年(1874)に東京府管轄の墓地が設置されている。東京府の墓地としては青山墓地のほうが大きく、外国人も多く埋葬されていた。しかし、ハーンは華やかな雰囲気が漂う青山墓地よりも、雑司ヶ谷墓地を好んでいた。
もうひとつのお気に入りの場所だった新井薬師は少し遠い。ハーンは浴衣に下駄履きといった近所を歩くようなスタイルで出かけるのだが、西大久保からは往復で10キロ以上になる“遠足”だった。
大久保通りを西へと歩き、線路を越えて右に曲がる。この道筋には「百人組」と呼ばれた伊賀鉄砲組の組屋敷が点在し、屋敷内の敷地で副業のツツジ栽培がさかんにおこなわれていた。維新後には共同経営の大規模なツツジ園が造られ、春から初夏には1万本以上の木が一斉に赤やピンクの花を咲かせる。沿道からもその眺めを楽しむことができた。セツもここでは人力車から降り、ふたり肩を並べて花を眺めながら歩いただろうか。