死去する年に代表作『怪談』を出版
明治37年(1904)4月にはその集大成ともいうべき『怪談』が出版された。しかし、セツには共作者だという自覚がなかった。『怪談』が出版されて間もない頃、「私が女学校でも卒業した学問のある女だったら、もっと、パパさんのお役に立てたでしょうに」などと、自分を卑下するようなことを言ったことがある。すると、ハーンはセツを書斎に連れて行き、本箱にずらりと並ぶ著書を指して、こう言う。
「これは誰のおかげで生まれた本ですか? あなたが学問のある女ならば幽霊の話、妖怪の話、前世の話……みんな馬鹿らしいと言って嘲笑うでしょう」
中途半端に欧米流の学問を学んだことで、日本人独特の思考や感性を失ってしまう者は多い。セツも女学校で学んだら、昔話や怪談に興味を持って面白がることはなかったかもしれない。
コスパがいい早稲田大の職を得る
また、物語の内容や本質を分かりやすく伝えることにおいて、セツの右にでる者はない。英語を流暢に喋る高学歴者の話を聞くよりも、彼女がヘルン言葉で語って聞かせてくれるほうが、よっぽど心に響いて創作意欲をかきたてられる。これも女学校で学んで身に付くものではない。持って生まれた才能だろう。
「この本、みんなあなたの良きママさんのおかげで生まれました。世界で一番良きママさんです」
ハーンは傍にいた一雄にもそう言ってセツを褒め称えた。
『怪談』が出版される1カ月前、3月にハーンは早稲田大学の講師に就任した。「東京専門学校ハ明治三十五年九月二日私立早稲田大学ト改称セリ」との司法省告示で“大学”を名乗るようになり、新設学部を増やして規模の拡大を図っている最中。もっと学校の知名度を上げて学生を集める必要がある。ハーンは著名な作家であり、帝国大学では教え上手と評判の人気講師。学校の知名度を向上させて学生を集めるという目的には、もってこいの人材だった。
年俸は2000円(約8000万円)、帝国大学で貰っていた給料の半分以下の額なのだが。帝国大学で受け持っていた講義は週12時間、早稲田ではわずか週4時間。時給で換算すればこちらのほうがよっぽど高給、破格の条件といってよかった。
大阪芸術大学卒業。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。著書に『ウソみたいだけど本当にあった歴史雑学』(彩図社)、『牧野富太郎~雑草という草はない~日本植物学の父』(角川文庫)などがある。
