「チャレンジャー号爆発事故」の痛恨

3・2・1、発射。アメリカでスペースシャトル「チャレンジャー」が打ち上げられました。しかし、73秒後――チャレンジャー号は爆発してしまいます。乗組員の宇宙飛行士7人全員が亡くなりました。これを「チャレンジャー号爆発事故」といいます。1986年1月28日に起きた出来事でした。

原因は、「Oオーリング」という密封するためのゴム製の部品の破損です。

食品を保存する「密閉容器」にたとえると、ふたのところに密封するためのやわらかい部分がリング状についているものがありますよね。スペースシャトルにも機体と燃料の間にリング状のゴムを入れて、燃料がもれないように設計していました。けれどもとても寒い中で打ち上げをしたことで、ゴムが縮んでしまい、その縮んだ隙間から燃料がもれてしまったのです。

石井先生はベイラー医科大学の研究所でこのニュースを聞き、胸が痛みました。つい1カ月ほど前、スペースシャトルに乗った宇宙飛行士と挨拶をしたばかりだったからです。

(なんで極寒の中、打ち上げてしまったんだ……)

じつは打ち上げの延期に延期が重なり、関わるみんなが疲労困憊こんぱい、寝不足でした。そのため判断をまちがえて、打ち上げ命令を出してしまったのです。

数千枚という頭蓋骨の画像を見た

チャレンジャー号爆発事故によって宇宙関連の研究はすべてストップになりました。

NASAからの研究費は打ち切られ、各研究所では研究者たちにお給料を支払えません。それどころか研究する費用、お猿さんの餌代さえ出ないのです。

「もう明日から来なくていい」

講師も助手も、スタッフが次々に解雇されました。これまで順調に進んでいた研究も突然の終了です。最終選抜試験を突破し、宇宙飛行士に選ばれた毛利さんや向井さんの訓練も中止になりました。

残念でしたが、石井先生も実験が一区切りしたところで、

(日本に帰ろう)

そう思いました。

留学した2年半の出来事が頭をかけめぐります。振り返ると、自分自身がとても成長できたなぁとしみじみ感じました。

まず、耳の構造が「平面」ではなく「立体」で思い描けるようになりました。これは留学前にはできなかったことでした。世界トップクラスのハーバード大学や、石井先生が留学したベイラー医科大学には、亡くなった人たちの頭蓋骨の側面「側頭骨そくとうこつ」の画像があり、石井先生は毎週研究結果を説明するために必ずこれをチェックしなければならなかったのです。

数千枚という画像を見るうちに、複雑な内耳の仕組みが立体的に頭にうかぶようになりました。つまり構造をみる、解剖学の力がのびたのです。

次に、体でなぜそういうことが起きるのかというシステムの理解、生理学という分野もよくわかるようになりました。

例えば耳の神経機能のバランスがくずれたら「めまい」が起きる、心臓の拍動が速まれば血流のスピードが速くなって血管がぎゅっと細くなり「血圧」が上がる――医学の教科書で言葉として覚えたことですが、それらがきちんと理解できたのです。

笹井恵里子『宇宙飛行士を支える医師 “宇宙酔い”への挑戦』(金の星社)
笹井恵里子『宇宙飛行士を支える医師 “宇宙酔い”への挑戦』(金の星社)

(もし、自分に点数をつけるなら……、留学前は他の大学でわかることも東京慈恵会医科大学ではぼくもだれも知らなかったから、マイナス30点だろう。留学後の今は、100点ではないかもしれない。けれど耳鼻咽喉科の医師として合格点の80点にはなったと思う)

だから石井先生は満足でした。心残りはゴルフくらいでしょうか。

(日本を出発する時に、せっかく研究所にゴルフバッグを送ったのに、五十嵐教授がこわくて、結局一度もアメリカでゴルフができなかったなぁ)

思わず苦笑いです。でも、ひとまわりもふたまわりも大きくなった自分がいます。そして無事に日本に帰って来られて良かったと、心からほっとしました。

笹井 恵里子(ささい・えりこ)
ノンフィクション作家、ジャーナリスト

1978年生まれ。本名・梨本恵里子「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)、『老けない最強食』(文春新書)など。新著に『国民健康保険料が高すぎる! 保険料を下げる10のこと』(中公新書ラクレ)がある。