「聞こえないフリ」は100%見抜ける
かつての本人がボタンをおす聴力検査だけでは、本当のことはわかりませんでした。けれども現代ではOAE、または脳波を測ることで聞こえの検査ができるABR(聴性脳幹反応)というふたつの特殊な検査で、「聴力」の反応はかなり正確に診断できるようになりました。聞こえないフリをする「詐聴」を100%見ぬけるのです。
ところが石井先生は以前、「聞こえない」と受診した中学生の女の子にその特殊な検査をしませんでした。女の子がいろいろな検査をとてもいやがったからです。その子は、しょうかいされたクリニックで「突発性難聴の疑いあり」と言われたのですぐに入院し、治療を開始することになりました。
突発性難聴は名前の通り、ある日突然耳が聞こえなくなってしまう病気で、若い人から高齢者まで起こります。原因は正確にはわかっていませんが、ストレスがたまっている時やとてもつかれている時になりやすく、早く治療をしないと、聴力がもどらなくなってしまいます。
それどころか治療をしても完全に治る確率が3分の1といわれているのです。石井先生は、その中学生の女の子が心配でした。
「いやなやつ、いやな自分はいませんか」
ところが、女の子が入院したその日の夜――。
看護師さんが入院部屋の見回りをしていると、その女の子はベッドの上に座ってテレビに映る音楽番組を見ていました。そしてなんとパチ、パチと歌に合わせてリズムよく手をたたいておどっているではありませんか。看護師さんはおどろいて、診察室にいる石井先生のもとに走ってもどりました。
「先生、入院中のあの子、様子がおかしいんです。聞こえないはずなのに手をたたいているし、音楽に合わせて……」
看護師さんがおどる真似をします。その様子を見て石井先生は「やられた〜!」と、天井をあおぎ見ました。
翌日、石井先生は女の子にすぐにOAEの検査を行いました。すると、正常値の結果。石井先生は女の子に「あなたの耳は聞こえていますね。ちゃんと反応していますよ」と説明し、「いやなやつ、いやなこと、いやな自分はいませんか」と語りかけました。
すると女の子は両手で顔をおおって「いやなやつはお母さんです」と泣き出しました。
「いやなことは受験です。でもそういうことに反応して、やだやだと言っている自分もいやです」
女の子はきちんと返答しました。石井先生は、耳が聞こえて良かったとほっとしながら、そこまで追いつめられている様子を見るのがつらくなり、かける言葉が見つかりませんでした。
「やっぱり受験の季節には、聞こえなくなる患者さんが多いんですねぇ」
石井先生が物思いにふけっていると、後ろから看護師の伊藤美香さんが声をかけてきました。先ほどの小学6年生の女の子のことが頭にあるようです。