政府は、皇室典範の改正案を国会に提出する方針を固めた。皇室史に詳しい島田裕巳さんは「その中で最も有力視されているのが『旧宮家養子案』だが、それは『秋篠宮朝』の誕生を招くかもしれない」という――。

「旧宮家養子案」の意外な盲点

今の国会では、皇室典範の改正への動きが進んでいる。その中で最も有力視されているのが旧宮家の養子案である。

しかし、そこで見落とされているのは、仮に養子になるという旧宮家の人間が現れたとき、「皇室のどの家が、その人物を養子に迎えるか」である。

それは相当に難しいことなのだが、私は最終的に秋篠宮家が名告なのりをあげるのではないかと考えている。もしそうなれば、「秋篠宮朝」という新しい王朝が誕生するかもしれない。

「第16回日本学術振興会育志賞」の授賞式を終え、引き上げる秋篠宮ご夫妻=2026年3月3日午前11時51分、東京都台東区の日本学士院会館
写真=朝日新聞社/時事通信フォト
「第16回日本学術振興会育志賞」の授賞式を終え、引き上げる秋篠宮ご夫妻=2026年3月3日午前11時51分、東京都台東区の日本学士院会館

江戸時代の国学者、本居宣長は、日本で王朝の交替がなかったところに、王朝の交替がくり返された中国に対する日本の優位性があるという主張を展開した。

ただ、その後の歴史学の世界では、何度か王朝の交替があったとされている。そこには、天皇家がいつから始まるのかという問題があり、はっきりしない部分もあるのだが、天皇直系ではなく、傍系で継承が行われたことがあるのははっきりしている。

奈良時代の末期に光仁こうにん天皇が即位したときには、その前の女帝称徳しょうとく天皇が後継者を決めずに亡くなったこともあり、天武てんむ天皇以来長く続いた天武系から、天智てんじ天皇の天智系への交替があった。

権力が集中する秋篠宮家のゆくえ

江戸時代に後桃園ごももぞの天皇が男子を残さず、22歳の若さで亡くなったときには、傍流の閑院かんいん宮家から光格こうかく天皇を迎えている。したがって、先帝との間は7親等も離れていた。今の天皇家はこの光格天皇の系統に属している。

光格天皇が即位したのは1780年のことなので、それから250年近くの歳月が流れている。その点で長い伝統があるわけだが、現在の天皇家には愛子内親王しかいない。「愛子天皇」待望論が高まる中で、愛子内親王が即位すれば、その伝統に変化はないわけだが、現在の皇室典範をめぐる国会での議論では、女性天皇実現に踏み出すような提言は浮上していない。

現在、皇位継承順位では、秋篠宮文仁親王が第1位であり、第2位はその息子、悠仁親王である。第3位には常陸宮正仁親王がいるが、1935年の生まれで、すでに90歳である。

その点で、秋篠宮家という傍系に皇統が継承されていく可能性が極めて高い。これは、秋篠宮家に権力が集中する可能性が高まっていることを意味する。

それはどういうことなのだろうか。