髪を切る行為に秘められた決意
愛子内親王が幼い頃の写真を見ると、中央には愛子内親王がいて、その両脇で今上天皇夫妻が見守るという構図が多かった。
しかし、愛子内親王が成人し、大学を卒業して以降、そうした配置にはならなかった。愛子内親王が中心となる着席の仕方が選ばれたのは偶然ではないであろう。その確かな証拠もあるからである。
貴賓席の中央に席を占めた愛子内親王は、これまでの長い髪を切り、肩上のボブヘアにしていた。大学生の時代、それはコロナ禍の時期にあたるが、その頃の髪は短かったものの、それ以降伸ばしていた。今回は、それをばっさりと切ってしまった。記者からの質問には、「35、6センチくらい切りました」と答えている。
長い髪を切るという行為は重要な意味を持っている。若い女性がそうした行為に及べば、昔なら、「何かあったの、失恋でもしたの」などと尋ねられたかもしれない。
私は、宗教の研究を進める中で「通過儀礼」ということに強い関心を持ってきたが、髪を切る行為は男女を問わず通過儀礼としての意味を持っている。代表的なものとしては、元服の際に、男子が幼少期の髪型を切り、成人男性の髪型に切り替えることや、男女を問わず出家の際に髪を切り落とすことが挙げられる。
そうした正規の通過儀礼の機会ではなくとも、決意を表明するために髪を切るということはある。
今上天皇が込めた国民へのメッセージ
その格好の例としては、映画『ローマの休日』において、昼間のローマの街へ一人で出ていくアン王女が、最初に美容院に立ち寄り、そこで、愛子内親王のように、髪をばっさり切ってショートヘアにした場面が挙げられる。
その切られた髪は、王女を演じたオードリー・ヘプバーン自身のものでもあり、初の主演作に臨むという二重の意味合いがあった。だからこそ、髪を切って、鏡でそのことを確認した王女=ヘプバーンの表情は、観客を強く引きつける映画史上の名場面の一つになったわけである。
最初、今上天皇一人が観戦すると発表されたにもかかわらず、一家での観戦にどこでどのようにして変わったのかはわからない。そこには雅子皇后の体調ということも関係しており、正式な発表は当日の午後のことだった。
しかし、雅子皇后の体調がよければ、一家で観戦することは最初から天皇家の中で共有されていたはずだ。そして、貴賓席での座り方も決まっていたことであろう。当日決まることはあり得ないし、愛子内親王を真ん中にということは、今上天皇の了承がなければ実現しない。
むしろそこに天皇の意思が働いていると考えるべきであろう。そこには、天皇からの国民に対するメッセージが込められていたのである。