遺産は現在の価値で4650億円

ヘティ・グリーンはこれをチャンスと見て、グリーンバックを買い集めた。南北戦争の勝敗がどうなろうとも、アメリカ政府は最終的に紙幣の価値を保障する、だからグリーンバックが暴落することはない、と考え、今は買い時だと考えたのである。

ヘティ・グリーンの見込みは当たった。アメリカ議会は1875年にグリーンバックを金で償還することを約束。その結果、一時半額で取り引きされていたグリーンバックの価値は、額面通りに戻った。

ヘティはこの取引で巨額の利益を得た。この時の利益は、1日あたり約20万ドル、1年間では約125万ドルにも達したという。

150年前の1ドルの価値はいくらだったか。南北戦争当時を描いた「若草物語」において、次女のジョーがもらった原稿料が1ドルだった。それを踏まえると、おそらく現在の数十ドル程度に相当すると思われる。

インフレ率をもとに計算すると、1861年の1ドルは現在の約40ドル程度という試算もある。仮に当時の1ドル=現在の40ドルと仮定すると、ヘティ・グリーンの稼ぎは1日に800万ドル、1年間で5000万ドルとなる。

1ドル=155円で計算すると、1日に12憶4000万円、1年間で77憶5000万円も稼いだ計算だ。

その後もヘティの資産は順調に増えつづける。1916年に亡くなった際、ニューヨークタイムズは残された遺産の額を「約1億ドル」と推定している。

1916年当時の1ドルは約30ドルに相当するという試算もある。

ヘティ・グリーンの遺産を現在の価値に換算すると約30億ドル相当にのぼる。日本円にして約4650億円という莫大な金額だったようだ。

「ウォール街の魔女」と呼ばれたワケ

ヘティ・グリーンは徹底した「ドケチ」だった。

投資家として成功したのちも、高い賃料を払いたくないがあまり、銀行のオフィスの片隅を間借りしていた。また、華やかな社交界や上流階級の付き合いから距離を取って質素に暮らしていたという。

前述のように、服装といえば黒いドレス1着で、石鹸代がもったいないと言って、裾が汚れたらその部分だけ洗濯するよう指示していたという。同じドレスを長年着回していたせいでカビが生えもともと黒かったドレスは緑色に変色し、特に夏場には悪臭が漂っていたという。

この服装のイメージから、「ウォール街の魔女」というあだ名がつけられた。

ウォール街
写真=iStock.com/Fabrice Cabaud
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また、燃料費をケチるあまり、暖房を使わず、お湯も沸かさなかった。昼食代を節約するために、レストランでは食べず、オートミールを持参して食べていたという。

ちなみに、ヘティ・グリーンの両親はクエーカー教徒だ。クエーカー教徒といえば、質素な服装と生活スタイルで有名であり、彼女のケチぶりにも何らかの影響があったかもしれない。

英米圏ではオートミールといえば質素な食べ物の位置付けだが、そんなオートミールのパッケージには今でもクエーカー教徒のイラストが使われている。それくらいクエーカー教徒=質素=オートミールを食べるというイメージが根付いているのだろう。