お金持ちになる人はどこが違うのか。投資家や経営者の事例に詳しいライターの中野タツヤさんは「現在の価値で約5000億円を稼いだ19世紀の女性投資家、ヘティ・グリーンの事例が参考になる。彼女のスタイルは、『世界一の投資家』として知られるウォーレン・バフェット氏ともよく似ている」という――。
大量の100ドル紙幣
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天才投資家の「共通点」

ウォーレン・バフェット氏といえば、世界一の投資家としてあまりにも有名だ。

そのバフェット氏よりかなり前に、バフェット流の投資スタイルを先取りしていた女性投資家の存在をご存知だろうか。

両者はともに「安い時に買い、できるだけ長期間保有する」という逆張り戦略をとっていたが、輪をかけて似ているのが、二人とも類稀なる「ドケチ」という点だ。

バフェット氏は大変な倹約家で、億万長者になった今でも、60年以上前に購入した約3万ドル(1ドル=155円として約465万円)の住宅に住み、10ドル(同じく1550円)の理髪店で髪を切っているという。食事はいつもマクドナルド、飲み物はコカ・コーラで、愛飲するあまりコカ・コーラ社の大株主になったというエピソードは有名だ。

一方、「女性版バフェット」のほうも、ドケチぶりでは勝るとも劣らない。洋服といえば黒いドレス一着しかもたず、石鹸をケチって裾だけを洗っていた。同じ服を何年も着回していたのでカビが生えて緑色に変色していたという。

また、できるだけ食費を節約するために毎日オートミールを食べ、お湯を使わなかった。治療費をケチった結果、息子は足を切断することになった。といった驚くようなドケチエピソードが伝えられている。

ギネスに載った「世界一のケチ」

しかも、彼女の死因として「支払いの件で口論になり、脳卒中の発作を起こして命を落とした」という説もあるから驚きだ。あまりのドケチぶりに、「世界一のケチ」としてギネスブックに掲載されたこともある。

そんなヘティ・グリーンは1834年、アメリカ・マサチューセッツ州ニューベッドフォードで生まれた。両親は捕鯨業を営んでいて、裕福だったという。

幼い頃からビジネスに親しみ、6歳の頃には父親に金融関連の文書を読んで聞かせていた。やがて大人になると父親の事業や投資を手伝うようになり、徐々に投資家として頭角を現していく。

1861年に南北戦争が始まると、アメリカ政府は戦争資金を確保するため、「グリーンバック」と呼ばれる「金に裏付けられていない紙幣」を発行する。

当時は戦争の行方も不透明で、アメリカ経済の先行きが不安視されていた。多くの投資家にとって、紙幣よりも金のほうが安全な資産だとみなされ、「グリーンバック」は額面よりも大幅に安く取り引きされていた。一時は1ドルのグリーンバックが、わずか50セントで売られていたという。

遺産は現在の価値で4650億円

ヘティ・グリーンはこれをチャンスと見て、グリーンバックを買い集めた。南北戦争の勝敗がどうなろうとも、アメリカ政府は最終的に紙幣の価値を保障する、だからグリーンバックが暴落することはない、と考え、今は買い時だと考えたのである。

ヘティ・グリーンの見込みは当たった。アメリカ議会は1875年にグリーンバックを金で償還することを約束。その結果、一時半額で取り引きされていたグリーンバックの価値は、額面通りに戻った。

ヘティはこの取引で巨額の利益を得た。この時の利益は、1日あたり約20万ドル、1年間では約125万ドルにも達したという。

150年前の1ドルの価値はいくらだったか。南北戦争当時を描いた「若草物語」において、次女のジョーがもらった原稿料が1ドルだった。それを踏まえると、おそらく現在の数十ドル程度に相当すると思われる。

インフレ率をもとに計算すると、1861年の1ドルは現在の約40ドル程度という試算もある。仮に当時の1ドル=現在の40ドルと仮定すると、ヘティ・グリーンの稼ぎは1日に800万ドル、1年間で5000万ドルとなる。

1ドル=155円で計算すると、1日に12憶4000万円、1年間で77憶5000万円も稼いだ計算だ。

その後もヘティの資産は順調に増えつづける。1916年に亡くなった際、ニューヨークタイムズは残された遺産の額を「約1億ドル」と推定している。

1916年当時の1ドルは約30ドルに相当するという試算もある。

ヘティ・グリーンの遺産を現在の価値に換算すると約30億ドル相当にのぼる。日本円にして約4650億円という莫大な金額だったようだ。

「ウォール街の魔女」と呼ばれたワケ

ヘティ・グリーンは徹底した「ドケチ」だった。

投資家として成功したのちも、高い賃料を払いたくないがあまり、銀行のオフィスの片隅を間借りしていた。また、華やかな社交界や上流階級の付き合いから距離を取って質素に暮らしていたという。

前述のように、服装といえば黒いドレス1着で、石鹸代がもったいないと言って、裾が汚れたらその部分だけ洗濯するよう指示していたという。同じドレスを長年着回していたせいでカビが生えもともと黒かったドレスは緑色に変色し、特に夏場には悪臭が漂っていたという。

この服装のイメージから、「ウォール街の魔女」というあだ名がつけられた。

ウォール街
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また、燃料費をケチるあまり、暖房を使わず、お湯も沸かさなかった。昼食代を節約するために、レストランでは食べず、オートミールを持参して食べていたという。

ちなみに、ヘティ・グリーンの両親はクエーカー教徒だ。クエーカー教徒といえば、質素な服装と生活スタイルで有名であり、彼女のケチぶりにも何らかの影響があったかもしれない。

英米圏ではオートミールといえば質素な食べ物の位置付けだが、そんなオートミールのパッケージには今でもクエーカー教徒のイラストが使われている。それくらいクエーカー教徒=質素=オートミールを食べるというイメージが根付いているのだろう。

治療費をケチり息子の足を切断

ヘティ・グリーンのドケチエピソードとして最も有名なのが、「治療費をケチったせいで息子が足を切断することになった」というものだ。

ヘティ・グリーンの息子ネッド・グリーンが14歳のころ、事故にあい足を脱臼した。一説によるとスキー中の事故だったようだ。

治療してもらおうと、息子を連れて診療所を回ったが、どこに行っても治療を断られた。訪れたのがいずれも貧困層向けの無料診療所で、富裕層のヘティ・グリーンは追い返されてしまったという。

これに彼女は怒り、無料で治療してくれる医者を意地になって探しているうちに、息子の怪我が悪化してしまった。最終的には壊疽を起こし、足を切断することになったと言われている。その結果、息子のネッド・グリーンは生涯コルク製の義足をつけることになった。

もっとも、実際には複数の医師に多額の謝礼金を支払っていた形跡もあり、「息子の治療費をケチった」は誇張の可能性がある。そんな話が流布するほど「ヘティ・グリーンはドケチ」というイメージが根づいていたのだろう。

彼女の人生の最期も「世界一のドケチ」の名にふさわしいものだった。ある日、買い物を終えたメイドと口論になり、興奮したせいで脳卒中の発作を起こし、そのまま帰らぬ人となったという。

ヘティ・グリーン(1897年)
ヘティ・グリーン(1897年)(写真=Hollinger & Rockey/Library of Congress/PD US/Wikimedia Commons

金持ちになるための「最大の秘訣」とは

何でも「牛乳よりスキムミルクのほうが安くて栄養がある」と主張してメイドを叱ったらしい。かつてのギネスブックはこのエピソードとともにヘティ・グリーンを「世界一のドケチ」として紹介した。

(これについてもヘティ・グリーンは普段から脳卒中の発作を繰り返しており、メイドとのケンカが直接の原因ではない、という説もある)

「スキムミルクのほうがコスパがいい」はその通りかもしれないが、日本円にして約5000億円もの資産を持っているなら、その程度の価格差など気にしなくていいのでは、とも思ってしまう。ただ、細かい損得に徹底的にこだわる姿勢が、莫大な資産を築く上で役立ったのだろう。

ヘティ・グリーンは生涯にわたり年間約6%のリターンを得ていたとされるが、これはそう大きな利益ではない。2025年の日経平均は約26%も値上がりしており、ヘティ・グリーンよりも大きなリターンを得た投資家はたくさんいるはずだ。

ただ、ヘティ・グリーンは大損することがなかった。債券や不動産など手堅い投資を好み、割安な資産を徹底的に選ぶことで安定して利益をあげていた。

1907年に発生した暴落でも大したダメージを受けなかったとされる。それどころか銀行の代わりに低利の融資を提供して、米国経済が暴落のダメージから回復するのに一役買ったという。

「世界一の投資家」ウォーレン・バフェットもまたドケチであることを考えると、結局、金持ちになるための最大の秘訣は「ケチ」なのかもしれない。