最大の問題
工学部大学院では光ファイバーの研究だけでなく、工場経営を視野に入れて製造技術管理も学んだ。
だが、最大の問題は光ファイバーを使った大型ディスプレイの技術について指導できる教授がいなかったことだ。そのため、私はよその学部の研究所に入り込んで、そこの実験室で学んだり、講義として学生に公開されているわけではないカリキュラムに紛れ込んだりしていた。
普通の学生たちが卒業単位になる科目を履修する一方で、自分に必要なこと、好きなこと、やらねばならないと思ったことを優先し、キャンパス内外を飛び回っていたのだ。20代だったからこそできたことだった。
思い出に残っているのは、製造技術管理を学ぼうと見学に行ったカリフォルニア州フリーモントにあるGMの生産現場だ。
工場内は、フライドチキンを食べながら作業する工員、コーラを飲みながら雑談にふける工員など、ちんたらとやる気のなさそうな工員で溢れていた。父や祖父が運営していた工場とは真逆の、秩序なく、だらけた雰囲気。
直感的に「この会社はいずれ落ちぶれる」と思ったが、事実、GMは1980年代から何度か経営危機を迎え、創業101年目の2009年に経営破綻した。
余談だが、私が見学に行ったフリーモントの工場は現在、イーロン・マスクのテスラの自動車を作る主力工場のひとつとなっている。
ついに会社設立を果たしたが…
そして大学院在学中の1981年、ついに光ファイバー・ディスプレイの開発製造のための会社「ジーキー・ファイバー・オプティクス社」を設立した。本社は私の住んでいる寮で、冷蔵庫が材料の保管庫という陣容だった。
手がけたのは、100メートル×30メートルという超大型ディスプレイ。需要があるのは広告業界だと当たりをつけ、ニューヨークのマディソン街に集中している広告代理店へ売り込みに歩いた。
ところが、何十社回っても受注はゼロ。
新技術への関心こそ示してもらえたものの、本格的な商談にはいたらず、創業資金は底をつき、従業員は辞めていき、事業継続は風前の灯火。事業計画書どおりに事は運ばないどころか、もはや倒産寸前だった。