セツ自身が語った結婚秘話
ところで、「ばけばけ」のトキとヘブンの状況は、モデルになったセツとハーンのそれと少し異なる。最初にそこを明確にしておきたい。
「ばけばけ」のトキは、明治23年の秋ごろにハーンの女中になり、ハーンの借家まで毎朝、養家から通ったが、セツがハーンの女中になったのは明治24年の2月上旬ごろで、最初から住み込みだった。どういう経緯で彼女がハーンの女中になり、どうして住み込みだったのか、詳細はわかっていない。
セツ自身は、ハーン逝去25周年(1929)を記念した東京朝日新聞の取材に、「その年(註・明治23年)の十二月私は八雲の許に嫁ぎました。私の実家は古い士族ですが父は亡くなっていましたし別に反対を唱える親族もなかったのです」と答えている。
ちなみに、ここでいう「父」は実父の小泉湊(「ばけばけ」の雨清水傳のモデル)で、明治23年(1890)12月はおそらく旧暦を指す。だから、西暦の同23年(1891)2月、つまりセツがハーンのもとに住み込みで働きはじめた時期のことと思われる。セツは、自分が当初は妾を兼ねた女中、すなわち「洋妾(ラシャメン)」だったのが嫌で、住み込みで働きはじめたことを「嫁ぎました」といいたかったのだろう。
実母はハーンが家を借りて救済
いずれにせよ、セツはハーンの家に住み込みで働きはじめ、間もなくして女中を超えるあつかいを受けるようになったと考えられている。
そして、ハーンが士族屋敷への転居を希望したため、明治24年(1891)6月22日、松江城の内堀に面した北堀町にある、現在の「小泉八雲旧居」に引っ越した。これについて、セツの口述を筆記した『思ひ出の記』には次のように書かれている。
「私と一緒になりましたので、ここ(註・宍道湖に面した借家)では不便が多いというので、二十四年の夏の初めに、北堀と申すところの士族屋敷に移りまして一家を持ちました。/私共と女中と子猫とで引っ越しました」
この時点ではセツが女中だったどころか、女中はほかにいたということになる。
また、「ばけばけ」では、トキは実母のタエのもとに毎月、給金の半分にあたる10円を渡していたが、セツが実母の小泉チエを救ったのは、給金によってではなかった。北堀町の武家屋敷に引っ越すのに先立って、ハーンに小さい家を借りてもらい、家財道具も調達してもらって、生活を立て直すことができたのである。
では、セツの養家で「ばけばけ」の松野家のモデルである稲垣家は、どうなったのだろうか。