蔦重の時代、江戸城の女たちのリーダーは…
江戸時代後期の江戸城大奥において権勢を持っていた1人の女性がいました。筆頭老女であった高岳です。大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(NHK)ではこの高岳を女優でモデルの冨永愛さんが演じています。
高岳とはどのような女性だったのでしょうか。高岳は宝永6年(1709)の生まれで、寛政6年(1796)に亡くなっています。高岳は元は「ゆふ」と言い、利根姫(仙台藩主・伊達宗村の正室。紀州藩主・徳川宗直の娘)に仕える上﨟でした。ところが利根姫は延享2年(1745)に死去。その後、「ゆふ」は「三室」と改めて将軍・家重の嫡男・家治付きの「上﨟年寄」となります。その後、将軍付き上臈「高岳」となるのでした。
高岳より先に権勢を誇った筆頭老女・松島
高岳が権勢を持っていたのは、10代将軍・徳川家治(「べらぼう」では眞島秀和が演じた)の治世でした。ちなみに家治の乳母であったのが、松島局という女性であり、彼女も大奥の筆頭老女として権勢を誇ったとされます。松島についてもここで少し詳しく見ておきましょう。松島が生まれたのが、宝永6年(1709)のこと。高岳と同年です。生まれは江戸ではなく、京都でした。
公家の桜井兼供の娘として生を受けた松島は、中御門天皇の女御・近衛尚子(近衛家熙の娘)に当初仕えることになります。尚子は中御門天皇に入内し、昭仁親王を産みますが(1720年)、その直後に亡くなります。松島は主を失った訳です。松島が次に仕えたのが、培子女王でした。培子は皇族・伏見宮邦永親王の娘です。培子が嫁ぐことになったのが、徳川家重です。家重は8代将軍・徳川吉宗の嫡男であり、後に9代将軍となる人物でした。
享保16年(1731)、江戸に下向する培子に松島も従います。都から江戸城大奥へ、松島の人生の大きな転機でした。その2年後(1733年)、培子は懐妊しますが、産後の肥立ちが悪く若くして亡くなります。松島はまたしても主人を失ったのです。元文2年(1737)、家重は側室お幸の方との間に家治(幼名・竹千代)をもうけます(お幸は培子の御側付として江戸に入っていた女性でした)。
この家治の乳母となったのが、前述のように松島です。しかし松島は結婚はしておらず、授乳する女性は別におりました。家治の正室・五十宮倫子女王(閑院宮直仁親王の娘)を出迎えるため寛延2年(1749)に上洛したのは、松島です。家重の時代に大奥の老女となった松島は、家治が将軍に就任(1760年)してからも老女を務めました。松島は、一橋治済(11代将軍・徳川家斉の実父)の正室となる在子女王(京極宮公仁親王の娘)を迎えるために上京していますが(1767年)、参内し後桜町天皇に拝謁。天盃を拝領しています。この時、局号を許され「松島局」が誕生するのでした。