江戸時代における「天災」の意外な捉え方
現在、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で描かれている時代は、天明の飢饉の真っただ中である。江戸時代の三大飢饉のなかで被害がもっとも多く、90万人以上が餓死したとされるこの飢饉は、浅間山が噴火した天明3年(1783)の大凶作を受けて深刻化し、天明8年(1788)まで続いた。
むろん、原因は噴火やそれに続くひどい冷害だった。飢饉を克服する力が政治に欠けていたのは事実としても、それは当時の生産力と幕藩体制の限界であり、特定の政治家のせいだとはいえなかった。
しかし、現実にはその天災が、田沼意次(渡辺謙)の時代から松平定信(井上祐貴)の時代へと転換する契機となり、さらにいえば、良くも悪くも50年にもわたって君臨した11代将軍徳川家斉(城桧吏)の治世の幕開けにつながった。
なぜ、天災が政治的な転換のきっかけになったのか。それは、江戸時代には災害を、天災というよりむしろ人災と見做す傾向があったからである。