発達の遅れは利益である

世にあるほとんどの教育論は、教育によって次の段階に「早く」進んでいくことを善としています。まるで促成栽培の勧めのようです。ルソーの主張は逆です。

村上伸治『発達障害も愛着障害もこじらせない もつれをほどくアプローチ』(日本評論社)
村上伸治『発達障害も愛着障害もこじらせない もつれをほどくアプローチ』(日本評論社)

『自然は子どもは大人になる前に子どもであることを望んでいる。この順序をひっくり返そうとすると、成熟してもいない、味わいもない、そしてすぐに腐ってしまう速成の果実を結ばせることになる』

『子どもには特有のものの見方、考え方、感じ方がある。その代わりに私たちの流儀を押しつけることくらい無分別なことはない』

『はやく善を育てようと急いではいけない。理性が光りをあたえなければ、善もけっして善とはならないからだ。あらゆるおくれは利益となると考えるがいい』

とルソーは述べています。これはただ単に遅いことがよいという意味ではなく、子ども時代には子ども時代に獲得すべきことがあるという意味です。

『1日中、飛んだり跳ねたり、遊んだり、走りまわったりしているのが、何の意味もないことだろうか。一生のうちでこんなに充実した時はまたとあるまい』

『子どものうちに子どもの時期を成熟させるがいい』、『子どもが生きる喜びを感じることができるように』

『できるだけ人生を楽しませるがいい』

と彼は述べています。

そのためにも、早くから抽象的概念の暴露を受ける害は避ける必要があるのです。

子供
写真=iStock.com/Everste
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科学が発達してもいじめがなくならないワケ

私には、学生時代からずっと感じている疑問があります。科学は発達し、医学は発達し、精神医学も教育学もどんどん発達しています。ならば、いじめはなくなったのでしょうか? 子どものメンタル問題は、どんどん解決されつつあるのでしょうか? まるで、社会や科学が発達するほど、事態はどんどん悪くなっているかのようです。社会や科学が発達すればするほど、子どものそだちの状況はルソーの主張から離れていってはいないでしょうか。

彼は『エミール』の冒頭で、「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」と述べています。社会や科学が発展し、子どもを思いのままに「いじくり」倒せるようになってしまった現代は、「すべてが悪くなる」のがどんどんひどくなってはいないでしょうか。

ルソーが『エミール』を著してから、260年以上経ちました。その間に、科学も医学も飛躍的に進歩しました。けど、私たちは、ルソーよりも賢くなったのでしょうか。それどころか、ますますルソーの足元にも及ばなくなっているのではないでしょうか。現代の私たちの教育や子育ては、道に迷ってしまっています。今こそ、教育学の原点ともいえる、ルソーに学ぶべきではないでしょうか。