消極的教育
青年期になるまでは、言葉や観念による教育を排除する教育を、ルソーは自ら消極的教育と呼んでいます。
ですが、この消極的教育という言葉は誤解されやすいです。12歳になり、少年期に入ったエミールに天文学を教える際、ルソーは最初から知識を教えたりはしません。エミールを夕方と明け方に散歩に誘い、太陽が沈んだ方向とは逆方向から昇るのはなぜだろうかと疑問を呈し、疑問を呈したままで置いておきます。そして、別の機会に森の中への散歩に誘い、深い森の中で二人は道に迷います。
途方に暮れて泣き出すエミールに対して、ルソーは語りかけます。正午における太陽の位置などを考えさせ、方角を割り出し、苦労の末、二人は森から脱出します。この経験から、エミールは天文学の有用さを知ります。ルソーはそうなるようにわざと周到に仕組んでいるのです。学びを体験できるように、さまざまな仕込みをルソーはエミールに対して行っています。とても消極的教育とは言えません。自然から学べるような場の設定を、「積極的」に行っているのです。
ゆっくり育つ
人為的な教育を避け、体験からの学びを重視する教育は、いわゆる健常児には適切であろうが、発達障害児の教育には向かないのではないか、と思う読者もいるかもしれません。しかし考えてみてください。健常児ですら他者のことを考えさせる教育を早くからすることで押しつぶされたりしているのです。発達障害児が他者のことを考えられるようになるのはもっと後になります。抽象的な観念が通じるようになるのはさらに後のことになります。早くから社会人の教育を始めている今の教育は、健常児以上に発達障害児に大変酷なことをしています。
私の患者の中には、20代半ばになってから徐々に他者のことを考えられるようになり、20代の後半になって社会性がどんどん伸びている発達障害の人が何人もいます。ルソー的な教育は、健常児にとっても発達障害児にとっても、無理の少ない教育なのではないでしょうか。


