どんなときも生徒を謝らせようとしてはいけない
人が言葉で先に教えてしまうことをルソーは厳しく批判しています。『言葉によってどんな種類の教訓も生徒に与えてはならない。生徒は経験だけから教訓を受けるべきだ。どんな罰も加えてはならない。生徒は過ちをおかすとはどういうことか知らないのだから。決して謝らせようとしてはならない』、『生徒には絶対に何も命令してはいけない。どんなことも絶対にいけない』と彼は強く主張しています。ここまで来ると、そのまま同意できる読者は少ないのではないでしょうか。
言葉での教育は恨みや虐待を生む
言葉つまり人間による教育の害についてルソーは述べています。依存状態には2つあり、それは事物への依存と人間への依存です。そして、事物への依存は悪を生むことはないが、人間への依存は悪を生み出すと言っています。
これは例えば、貧困に苦しむ人が誰からか施しを受けたのなら、施しをした人に対しては逆らえなくなり、支配的な関係ができてしまいます。しかし、生活保護など制度を利用すれば、人と人との支配的な関係は生じなくて済みます。また、子どもがお菓子を欲しがる時に、「家にあるお菓子は昨日全部食べたのでもうありません」という説明なら子どもは納得しやすいです。ですが、「お菓子はまだあるけどあげません」という説明だと、「なぜなの?」「意地悪だ!」などの感情的な問題が生じやすくなります。自然は人に対して厳しいですが、走ってこけて膝をすりむいた子どもが大自然を恨むことはないでしょう。ですが、人が行う厳しい教育は恨みを買ったり虐待が生じたりもします。
このように、人による人為的教育、言葉による教育は害が生じやすいのです。子どもが暴れて窓ガラスを割ったのであれば、叱ってはならず、すぐには修理はせず、外気が室内に入る寒さを体験させるべきだと言っています。そして、『子どもをただ事物への依存状態にとどめておくことだ。そうすれば、教育の進行において自然の秩序に従ったことになる。子どもの無分別な意志に対しては物理的な障害だけを与えるがいい。あるいは行動そのものから生じる罰だけを与えるがいい』とルソーは述べています。


