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患者さんが人生をもって教えてくれたこと -東京慈恵医科大学救急部 及川沙耶佳さん【2】
日々の患者さんとのやり取りは教科書に載っていない大切なことを教えてくれる。そこから気付いていくことで、初めて医師は成長していく。
日々の患者さんとのやり取りは教科書に載っていない大切なことを教えてくれる。そこから気付いていくことで、初めて医師は成長していく。
医者も人間なので理不尽に怒られると、いつものように冷静でいられないこともある。そこを堪えていかに普段通りの診療スタイルを貫けるか。
94年に横浜で開かれた第10回国際エイズ会議。開催前年に命じられた、東京への長期出張。この準備期間に多くのことを学びました。
「延期」も「失敗」も許されないコンベンション・ビジネス。30歳を過ぎてゼロからの出発。私は、初めてビジネスの世界を知ったのです。
毎日、あまりに怒られるので、もう嫌だと思ったこともありました。途中で脱落する同期も。ただ、やめようと思ったことはありませんでした。
今年、秩父鉄道は秩父地域開通100周年。運転士80人近くの中で女性は2人。女性として初めての運転士になったのは5年前のことだった。
「郷に入れば郷に従え」で、いつもその組織の人間になろうと努めます。日本人だからといって“お客様”のつもりでは働けないのです。
退職か、一人残るか迷っていたとき、「夫婦が共に転勤すれば一緒に暮らせる」――。当時の上司からの提案。眼から鱗が落ちる思いでした。
約10年間の評価ドライバーとしての経験は、車両開発をする上での土台のようなもの。ゴールが全くない世界であることを実感します。
時間がかかっても思いを吐き出してもらう。信頼関係を築ける人たちを1人でも増やしていくことが、困難を乗り越える力になっていく――。
娘への罪悪感にさいなまれつつも仕事に走りぬいた20年。今、娘に認められることで、間違いのない人生だったと思えるようになりました。
私にはNYに親戚も友人もいませんでした。自分のキャリアが大きく開けていくその裏で、ちいさな娘にかけた負担も半端なく大きかったです。
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