実際は意次の父が養子に入り田沼姓を名乗る

しかし、実際は違ったらしい。『三百藩家臣人名事典5』によれば、田沼意次の父・田沼専左衛門は「実父は菅沼半兵衛、養父は田代七右衛門重章。養子となって以後、御伽おとぎに召し出され、田代の一字と菅沼の一字を取って田沼と称し、家紋を田代の常紋七曜を用いるように命ぜられる」という。

先祖が田沼に住んでいたから田沼を名乗ったのではなく、2つの姓を合作したから田沼になったのだ。おそらく田沼という地名を探して、佐野の近辺に田沼村があるから、佐野氏の系統を探したら田沼がいた。その末裔としよう――そうやって作ったにせ系図なんだろう。