自分は有名にはなれても成功することはないと悟っていた
70歳を超えてなお、プロダクトデザイナーとして第一線を歩み続ける秋田道夫さん。大学在学中から絵の才覚を発揮し、ケンウッド、ソニーを経て35歳で独立。カトラリーやワインセラー、バッグなどの生活用品から、薄型LED信号機、セキュリティゲートなどの公共物のデザインまで、シンプルで研ぎ澄まされたデザインで「暮らしや世の中の風景」を彩り続けてきた。そのキャリアは、一時的な人気で終わることのない“ロングセラー”だ。

ニコニコと笑い、終始穏やかな表情を保つ秋田さんだが、「もともと機嫌は良い方だと思っていますが、フリーランスになるとますます機嫌や愛嬌が大事と気がついたわけです。一応曲がりなりにも仕事があり続けているのは、その対応のおかげかもしれないですね。面白いのは50歳を過ぎて急にメディアに出るようになって、以前から感じていた『有名にはなっても“成功”することはないだろう』という気持ちが確信に変わったことです」と話す。
秋田さんによると、成功する人は「黒子」に徹するか「スター」として人前に出るかのどちらかに振り切らないと難しい。「目立たないのは嫌ですが、目立ちすぎるのも嫌というわがままな人」と自身をとらえ、長く人に親しまれるスタイルをめざしてきたのだという。
「11年間インハウスのデザイナー、ようは会社員でしたが、将来独立をしようと考えていたので辞めても迷惑をかけないように昇進試験も辞退し続けていました。おかげでまったく平社員でした。心中は“スーパー平社員”ですが(笑)」
ソニーなどかつて勤めた大企業の同世代が定年を迎えて引退するなか、秋田さんは変わらず現役だ。「今となっては『大企業で偉くなったのに』と「過去の栄光」をかざすプライドを持っていないのは良かったと思います。結局、残り続けるのは仕事の結果です。いい製品デザインが残れば、これにまさる“成功”はないと思いました」

一度でもいいから「一番」を体験することが大切
秋田さんの発言には、力みがない。だが、その実績をひもとけば、20代から現在に至るまで、日本のデザイン界を代表する存在であり続けてきたことが分かる。
「24歳のときに毎日ID賞をもらったんです。賞金100万円。1977年当時の価値換算でいえば、今の200万円くらいですね。全部、オーディオ製品や海外のデザイン雑誌や建築家の写真集を買って消えました(笑)」
2020年には、選考が厳しいことで有名なジャーマンデザインアワードの金賞も受賞。すでに70歳近い年齢と40年以上の時代をまたいで国際的に評価されているのは稀有な存在だ。
「一番になることには意味がある」と秋田さんは話す。しかし、それは“栄光”を求めるという意味ではない。
「一番を取ってみると、二番との差がちゃんと分かるんです。でも、二番だと一番との距離感がわからない。存在が大きく感じてしまうわけです。
だから一番になってみるのは大事なんです。でもずっと一番に執着する必要はありません」
若くして評価されると「天狗」になり、かえって仕事を遠ざけるリスクもあるが、秋田さんは「いい時こそ平常」を心がけてきた。「相手の肩書きに関係なく、誰に対しても愛想よく挨拶していたから、社内では人気者だったんですよ。日本一の賞を獲った同じ年に、社内の清掃係のおばちゃんから慰安旅行に『あなたも一緒に来ない?』と誘われたのが自慢です」と笑う。