お家騒動を避けるためにとったエグイ行動
以後、奥州では蘆名氏や佐竹氏を中心に反伊達同盟ができ、政宗との対立は激化するが、政宗は父の初七日法要が終わると、自分が殺した父の弔い合戦と称して二本松城を包囲。反伊達連合軍3万に対し7000余りの兵力で分が悪かったが、政宗は二本松城を落城させ、その名を奥州にとどろかせる。
その後、いくつかの戦いや和睦を通じて、天正19年(1591)には家督を継いでわずか5年で、奥州のほぼ全域を制圧している。だが、そこに立ちはだかったのが豊臣秀吉だった。
ここから先は無料会員限定です。
無料会員登録で今すぐ全文が読めます。
- 30秒で世の中の話題と動きがチェックできる限定メルマガ配信
- 約5万本の無料会員記事が閲覧可能
- 記事を印刷して資料やアーカイブとして利用可能
- 記事をブックマーク可能