意外な蔦重の生い立ち

蔦重は寛延3年(1750)正月7日に生まれたという。国学者で狂歌師としても知られる石川雅望による蔦重の墓碑銘には、「喜多川柯理(からまる)、本姓は丸山、蔦屋重三郎と称す。父は重助、母は広瀬氏、寛延三年庚午正月初七日、柯理を江戸吉原の里に生みて出づ。幼にして喜多川氏の養う所となる」と記されている。(カッコ内は編集部作成)

また、戯作者の太田南畝なんぽの手になる蔦重の母の墓碑銘には、「広瀬氏は書肆(しょし)耕書堂の母なり。諱(いみな)は津与、江戸の人。尾陽の人丸山氏に帰し、柯理を生む」とある。