内部たたき上げの人が躍進、しかしワンマン社長問題が…
ところが、戦後は社長も取締役も専務・常務もみんな従業員から選ばれるようになった。
そうなると、社長、専務、常務、取締役は単なる序列になっていく。部長の中から取締役を選んで2年間やらせてみて、スジがいいヤツを常務に抜擢し、次は専務だ。副社長だ……てなぐあいである。取締役会は株主たちの決定会議から、社長の決めたことの承認会議みたいになっていく。
取締役会(代表取締役社長、専務取締役、常務取締役、取締役などで構成)で社長を決めるという建前だけど、その構成員(専務以下の取締役)を抜擢してくれたのは社長である。「業績が悪いから社長を辞めさせるぅ⁈」そんな恐ろしいこと、できっこない!
よほどのことがなければ、社長の引き際を決めるのも、後継社長を誰にするか決めるのも、みんなみんな社長ご自身である。絶大な権力を持った社長を誰も止めることができない。だから、社長が暴走して問題になることが少なくなかった。
現在でも、生え抜き社員としてトップにまで上り詰め、40年以上取締役として君臨した元フジテレビ社長・日枝久は、その代表的存在と言えるだろう。

各企業はお互いの株を持ち合い、社外取締役が復活
GHQが実質的につくった独占禁止法のおかげで社外取締役は居なくなった。ところが、1951年にサンフランシスコ講和条約が締結され、翌1952年に発効。日本が占領から解除されると、独占禁止法を緩和し、役員兼任が可能になる。
一方、株式所有は法人(金融機関や事業会社)に集中していく。高度経済成長期は企業が急成長した。個人では購入に追いつかなくなってしまったのだ。結局、企業の株を企業が買う。
当時はまだ外国人株主に規制があったため、日本企業の大株主は日本企業だらけになっていた。いわゆる株式持ち合いというヤツである。中でも大株主の企業は、役員を派遣したり、役員を兼任してくる。社外取締役の復活である。

ただし、社外取締役は1人居るか居ないかくらいの慎ましやかなものだった。なぜなら、株式を持ち合っているので、持株を背景に社外取締役を送り込もうとすると、相手からも社外取締役を強いられる結果になる。「そういうことは、お互いなしにしましょうや。よっぽどの大株主や歴史的に経緯がある関係のみ、社外取締役をやりましょう」というような暗黙の諒解が醸成されてきたのだ。