蔦重は女郎たちを解放できないが、女性へのリスペクトはある
――蔦重は女郎たちを利用して成功した人でもありますよね。その点について検討したことはありますか。
【藤並】蔦重自身も6歳で引き取られ、働きながら育てられた境遇があり、女郎たちも体を売るという面はある一方、第1回でも「吉原だったら白いご飯が食べられるじゃないか」というセリフがあったように、実家にいて飢えるより「吉原なら辛うじて生きていける」という側面もあったと考えていて。助け合い、生かし合える側面も吉原にはあるんじゃないかなと思うんです。
蔦重は女郎たちの稼ぎで生きているけれど、だからこそリスペクトはあり、吉原の店を救わないといけないという覚悟と責任はある。何が正しくて何が正しくないかがわからない、いろんな状況や人間の多面性のある難しい題材だからこそ、そこを森下さんはすごく丁寧に描写してくださっていますし、われわれも丁寧に映像化しなければと思っています。
蔦重自身も生きることに必死な人で、自分のできることをやっている一方、社会構造をひとりで人間がひっくり返せるわけじゃない。蔦重は結局、何者でもない人で、無力なんですよね。でも、そんな彼の姿を見て勇気をもらったり、変化したりする人は少なからずいるのでは。
彼自身が大きな変革をするのではなくても、彼が走っていくことで後ろに道ができ、後ろに連なっていく人ができていく。ここから浮世絵や戯作などのプロデュースを始めますが、彼が発掘した人物や、彼らと生み出していった作品が彼の死後に文化として花開き、それが海外にも認められて、ジャポニズムと呼ばれるものにつながっていくわけです。