民間医療保険の負担がのしかかる

もはや他人事ではない。持病がなくとも、なんらかの事故に遭い継続的な医療を要する身体になるかもしれない。いくら健康に気をつけていても、その「危険」は自分の意思と努力だけで避けられるものとはかぎらないのである。今、当事者でなくとも、いつかは必ず自分も当事者になると考えるべきだろう。

それでも、もしかしたら「私には関係ないわ」と思う人もいるかもしれない。「十分な蓄えがあるから、病気や怪我で長期休業や失職してもなんら困らないよ」とか「いざという場合のために手厚い民間医療保険に入っているから自己負担が増えても全然平気」という人もいるかもしれない。

だがこうした財力と余裕のある人は、いったいこの国にどれだけいるだろうか。

民間医療保険といえば、わが国では、国民皆保険と高額療養費制度そして混合診療の原則禁止によって、これまではその役割が限定的であったといえる。それが今回の「改悪」によって公的給付が削減されれば、民間医療保険の市場拡大につながるだろう。万が一の保障を民間医療保険に委ねようと考える人の増加が「期待」されるからだ。

だがこうした保障のためにさらなる保険料を支払える人は、いったいこの国にどれだけいるだろうか。

あす突然「持たざる者」になってしまうかもしれない

そもそも今回の「改悪」によって、どのくらいの人たちにどれほど負の影響がおよぶことになるのか、精緻な試算はなされたのだろうか。予想以上の反発を受けてか、福岡資麿厚生労働相は患者団体への意見聴取を新たに検討する意向を示しているが、命と生活が脅かされる当事者にたいして、石破首相をはじめとした本案に賛成の議員たちは、いったいどんな言葉をかけるつもりだろうか。

どんなに負担が増えても困らないごく一部の大金持ちと、新たな市場拡大による利権獲得を心待ちにしている一部の企業経営者、この2者に該当しない、その他のこの国に生きる大多数の人たちは、ぜひ「自分ごと」として大反対の声をあげてほしい。

今は生活に困っていない人でも、それなりに裕福な暮らしをしている人でさえも、病気を抱えた瞬間から一気に「持たざる者」になる可能性はある。もし自分がその境遇になったときに、病気を満足に治療することも、最低限の生活を営むことも、許してもらえない国になってもいいのか。

石破首相はやっと過ちに気づいたのか、4日の衆院予算委員会で政府方針を再考する意向を示したようだが、さらに声を高めて「白紙撤回」にまでもっていかねばならない。それだけでなく、政府がこのような改悪案を二度と出してくることのないよう、この際、徹底的に議論し尽くそうではないか。

木村 知(きむら・とも)
医師

1968年生まれ。医師。10年間、外科医として大学病院などに勤務した後、現在は在宅医療を中心に、多くの患者さんの診療、看取りを行っている。加えて臨床研修医指導にも従事し、後進の育成も手掛けている。医療者ならではの視点で、時事問題、政治問題についても積極的に発信。新聞・週刊誌にも多数のコメントを提供している。2024年3月8日、角川新書より最新刊『大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方』発刊。医学博士、臨床研修指導医、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。