血液のがんと闘い続けた医大生
2025年9月16日、ひとりの医学生が息を引き取った。齊藤樺嵯斗さん(https://x.com/kazato20001710)、享年24歳。悪性リンパ腫に侵されながらも、彼はSNSを通じて自身の闘病生活を発信し、多くの人々がその前向きな生き方に勇気づけられた。
今まで本当にたくさんの応援そしてクラウドファンディングで樺嵯斗の医師になる夢をご支援して頂きありがとうございました。
— 齊藤樺嵯斗 血液内科医を目指すがんサバイバー (@kazato20001710) September 17, 2025
またスタバのジュースを樺嵯斗と一緒に飲むと待ってくださった皆様、心優しいお気持ち感謝しています。… pic.twitter.com/ozmxwV1Lqq
その一方で、ひとりのがん患者の視点から、高額療養費制度の堅持などを社会に訴えてきた。家族の誰かが重大な病気にかかれば、精神的な疲弊だけでなく、家族は経済的な負担をも余儀なくされる。前編では、闘病患者の家族からみたリアルな生活を率直に語ってもらった。
取材当日、齊藤樺嵯斗さんの両親は「どうぞ」とこころよく迎えてくれた。まだ49日をわずかに過ぎたばかりの樺嵯斗さんの部屋には、花や遺影とともに仲間が寄せ書きをしたグローブが飾られていた。勉強だけでなくスポーツにも積極的に打ち込んだことをうかがわせる。
「小学校時代は毎週土日を野球のクラブチームで過ごして。親が言うのもなんですが、運動もよくできる子でした」と父親は微笑む。中学時代はトレーニング部という、特定のスポーツではなく身体を思いきり動かす部活に所属した。中学入学から間もなく、樺嵯斗さんはひとつの誓いを立てたという。
「樺嵯斗が突然、『俺、勉強を頑張る』と言ったんです。そしてそのとおりに、かなり積極的に学習する姿勢をみせていました」
努力の天才に「悪性リンパ腫」が襲い掛かった
もっともこの“やる気スイッチ”には、裏話があるのだと母親が明かした。
「うちは、いるだけでもらえるような“お小遣い制”を採用していませんでした。その代わり、主人が『もしも学年で○位以内に入ったら』と言って、中学生にしては結構な金額を提示しました」
果たしてその試みは奏功した。もとから良かった成績は冴えわたり、約束した順位に到達。両親は約束を履行した。「社会に出たら、対価を提供して初めて認めてもらえる。昔からそうやって育てていました」とその真意を語る。
その後、高校受験では第一志望の公立進学校には嫌われたが、腐らずに学び続けた。結果、現役で医学部へ合格。同じく医学部に現在通う年子の弟をして、「努力の天才」と言わしめた。
樺嵯斗さんが闘った病気の名は悪性リンパ腫。闘病生活は2023年5月から始まった。2025年9月に亡くなるまで、途中に大学復帰を挟んでおよそ2年の治療をしていたことになる。「樺嵯斗の病気があって、前よりも一層、家族の絆は深くて強いものになったと思う」。そう話す父親は「でも、やはり生きてほしかった」と唇を噛んだ。